佐渡金山、世界遺産登録決定!
佐渡市民として、今日はこの記事を書かねばなるまいと思って、旅行帰りのボロボロな身体に鞭打って書いています。(事前に書いておけば良かったね)
佐渡金山というと、この号外新聞にも使われている「道遊の割戸」のイメージが最も強いと思うんですけど、実際はもっと広範囲のことを指していて。
相川鶴子金銀山(相川金銀山&鶴子銀山)と西三川砂金山の2つのエリアが構成資産となっています。
佐渡の金採掘の始まりは、西三川砂金山。
なんと西暦1100年頃の「今昔物語」に、西三川の砂金と思われる記述があるんだとか。
平安時代ですよ、平安時代。
室町時代の「宇治拾遺物語」にも同様の記述があるんですって。
(佐渡市発行のPDF参照)
西三川砂金山についての詳細は
佐渡ジオパークのPDFや「佐渡島の金山」HPを参照するとより知識が深まるかと。
現代では、西三川ゴールドパークという観光施設で砂金採り体験が出来ます。
漫画「ゴールデンカムイ」冒頭で杉元佐一がやってた、川にお盆のようなものを突っ込んで砂の中から砂金を採取する、あの方法を体感できますよ。
そうそう、月島軍曹の出身地でもあるので、ゴールデンカムイ聖地巡礼をしに佐渡に来る方もいます。
さて、話を戻しまして。
相川金銀山での採掘は、1601年(慶長6年)から1989年(平成元年)まで続いたそうです。割と最近までやってた!
がっつり江戸時代、徳川の世ですね。
当時相川の人口は最大で5万人くらいになっていたんだとか。ゴールドラッシュですな。
今の佐渡市の総人口、5万人切っちゃったよ。
室町時代には上杉氏が鉱山開発を進めたとかで、重要視されていた佐渡。
徳川家康は佐渡を直轄地(天領)に組み込んで、側近である大久保長安を送り、相川に佐渡奉行所を作りました。
司法、行政、造幣所も兼ね備えた奉行所だったんですよ。盛りだくさんですね。
その奉行所を復元した観光施設「佐渡奉行所跡」では、奉行所内部の「御役所」や「御白洲」、「寄勝場」(採掘した鉱石の中から金を取り出す施設)などを見ることが出来ます。
佐渡金山見学とセットで見ておいた方がいい施設ですよ。観光の際はぜひ。
もっと詳しい知識をお求めの方はこのサイト「佐渡島の金山」を見ておけば間違いないですから。各自見ましょう。私もこのサイトを参考に書いてますので。
あと文化庁のPDF。さすがに詳しいわ。
さて、ざっくり佐渡金山について説明したところで、結局のところ「世界遺産になるほどの価値がどこにあるの?」っていうのが当然疑問として出てくると思うんだけど。
佐渡での金の採掘、全部手作業だったんですって。
金の鉱脈を掘って掘って掘りまくって、相川金銀山のシンボルである、山が頭から2つにパッカーン割れた「道遊の割戸」なんかも生まれちゃって。
海外では当時既に爆薬や機械での採掘もされていたけど、江戸時代ですから。鎖国中ですから。
外国の技術が入ってこない中、総延長400km(佐渡〜東京間に相当)もの坑道を掘ったというから驚き。クレイジー。
そんな金の採掘、精錬を手作業でやっていた時代の遺跡がまるっと残っているのは、世界的に例がないんだとか。
それならまぁ、世界遺産にしてもいいかな、と思えるよね。(よね?)
もちろん歴史には負の側面がつきもので、そこから目を逸らして手放しに「やったー世界遺産だ!」とキラキラしているわけにはいかないのだけど。
遊女や無宿人の存在を透明化せず。
佐渡金山をただの観光資源とせず。
手作業で金を探した無数の人達、またそれに関わった全ての人達の、苦悩、貢献、無念、挫折、栄光、衰退。
そんなものを伝える遺産であって欲しいと思うし、伝えていく島でありたいと思います。
また、佐渡の豊かな自然とのんびりした環境も大事にしたいので、観光でいらっしゃる方達にもその点ご理解とご協力いただければ嬉しいです。
世界遺産の金山だけではない佐渡の魅力を、もっとここで発信していかなくては。なんて考えたりもしています。
以上、世界遺産が存在する島に暮らす女(なんとも浮かれた表現)による、佐渡金山ゆる解説&お気持ち表明noteでした。
佐渡金山世界遺産登録に向けて尽力した全ての方々の努力に拍手を。おめでとうございました!
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