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缶ポカリは儚げ

 先日(と言っても6月の話なのだが)とあるスーパーへ行った。ぼくは地元だろうが旅行先だろうがスーパーを巡るのが好きで、この日もスーパー巡りの一環でまだ行ったことがないスーパーへ行ったのだ。
 スーパー巡りの目的はいくつか挙げられるがその一つは「缶ポカリ」探しである。この日に行ったスーパーでも勿論飲料コーナーの巡回は欠かせない。飲料コーナーに向かっているぼくには謎の確信があった。「ここはあるぞ」と。

 缶ポカリはおそらくだが今後淘汰されていく飲料だろう。いくつかのサイズで販売されているペットボトルポカリや保存がきいて何かと便利な粉ポカリに比べると缶ポカリの肩身は狭い。というか缶飲料の販売数がペットボトルに比べると圧倒的に少ないと考えられる。スーパーだろうがコンビニだろうが陳列棚を見るとそれは明らかだ。缶はペットボトルよりエコではないというSDGs的な考えによる逆風もある。そして缶飲料は飲む場面が限られる。蓋ができないから携帯しにくい。出かけ先で缶飲料を買う人は少ないだろう。缶コーヒーが売れるのは量が少ないからだ。飲んですぐ捨てることができる。そしてコーヒーはがぶ飲みする飲み物ではない。だから内容量が少なくても構わない。

 話が逸れてしまったのだが缶ポカリはいずれ…というか近い将来なくなっていくのではないかということが言いたかった。話を戻す。ぼくがこの日に行ったスーパーは外観も新しいとは言えず、周辺に店などはなく民家が立ち並んでいた。ここからぼくはこのスーパーが昔から存在し地域を支え続けているスーパーではないかという感想をもった。そして昔からあるスーパーなら缶ポカリを売っている確率が新しいスーパーよりも高いと思った。何故なら新しくスーパーが開店するとして、時代の流れに乗っていない、しかも販売数が見込めない可能性がある缶ポカリを仕入れるとは思えないからだ。そしてスーパーの雰囲気。これはぼくの感覚的なものなので表現することができないが、以上のトンチンカンな理論と直感が合わさって「ここはあるぞ」という確信に至ったのだ。

 そして実際に缶ポカリはあった!

値札上に貼ってある付箋の意味は…?

 缶ポカリが3種類もあった!壮観だ!!
 スーパーに並んでたり自動販売機で売られているのを見たことがあるが、それらは全て1種類のみだった。こんなに売られているのを見て興奮を抑えきれなかった。そして245mlの缶ポカリを生で見るのも初めてだった。加えて245mlの6缶パックもある!俺は夢でも見てるのか?いや、夢ではない!ぼくは反射的に245mlの6缶パックを買い物カゴの中に入れた。最後の一個だった。

 ホクホクしながら帰宅して缶ポカリを冷蔵庫に入れる。この缶を持ったときのスリム感が素晴らしい。245mlと内容量は少ないが、先ほど書いた缶コーヒーのことを踏まえると「飲みきりサイズ」と捉えることもできる。運動やお風呂の後にコイツをグッと一気飲みしたら気持ちいいだろうなと思う。

 帰宅して少し落ち着くと値札に貼ってあった付箋のことが気になった。あれは何を意味するのだろう。ぼくは少し考えてハッとなった。心当たりがある。ぼくも昔スーパーでアルバイトをしていた。だからあの付箋の意味がなんとなくわかる。あの付箋は「もう入荷しません」という目印なのだ。この意味に気がついたときのショックは大きかった。そうか、そうだったのか。じゃああの245ml6缶パックは本当の意味で最後のひとつだったのだ。ああ、儚い。せっかく見つけたと思った缶ポカリが、初めて見つけた缶ポカリを購入したことは最後の別れを意味したのだ。

 缶ポカリはレアだ。なかなか販売しているお店は少ない。でも飲みたい。だからぼくは探す。スーパーに行くたび、自動販売機の横を通り過ぎるたびに。もし本当に生産終了になってしまったら、また今回のような悲しみを味わうのだろう。これから何度同じような別れを経験すればよいのだろう。

 少しナイーブになったぼくは245mlの缶ポカリを一気に飲み干した。

缶ポカリのデパートと言っても過言ではない、このスーパーには、まだ再訪できていない。缶ポカリがなくなっている現実を受け止められないからだ。

ありがとう。

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