バズる

バズるという事をもう一度深く考えてみようと思った。
 
誰に聞いても結局よくわからないと言われる。

「バズる」という言葉はこのよくわからない現象にせめて言葉をつけて知っているふりだけなのかもしれない。

 たまたま有名TikTokクリエイターの人とお仕事をする事になったフォロワー数うんじゅう万人いるような方であった。
 その方に聞いてもやはり必ずバズる方法はわからないようだ、強いていうのであればとにかく流行りに乗る、それくらいとの事。

 撮影時間も数十分、編集もその場でスマホで行い数十分本気出せば1つの動画であれば1時間ぐらいで完成してしまうやはりこのショート動画文化はスピード命という事なのだろう。すげえな、おい、吉野家かよ。
 僕も映像を作っている端くれとして、このスピード感を直に見れた事は本当に感動した。それと同時にとてつもない焦燥感みたいなものに襲われた。

 片や1本1時間程で作った動画で何十万人もの方々に賞賛を受けている人たちがいるのに対し、僕のように一日中ウンウン唸りながら20分ぐらいのテレビを模倣したような映像を作って2千ぽっちしか再生されない。(動画を見てくださっている方々、並びに関係者の方々ごめんなさい、僕が悪いだけの話です。)
 
 数とか数字に追われてしまっては良くないとか言われるが、そんな事はないと思うだって数字とか実績がないと存続だって危ないし結局お金に繋がってくるわけだし。

 結局バズるという事は惜しげもなく流行りに乗っかり楽しそうな姿を見せることが一番の近道なんではないだろうか。(もちろん編集など細かいテクニックはあるとして)そしてその惜しげもなく披露するという事がまだ大多数の人達は恥ずかしいという気持ちが勝っているんだろう。だから本当は皆わかっているはずなのであるバズるためにはどうすればいいのかを。ただその答えを肯定してしまうと自分の何かを失ってしまうと思ってしまっているのかもしれない、僕も含め。
 それはアイデンティティー的な事なのかな?
 
でもそれも違うのかと最近思い始めている。別に吉野家の隣に全く同じ吉野家を作るという事でもないんだろう、吉野家という看板を借りてフランチャイズ展開しオリジナルのメニューを出して事が極めて重要でそれができないと淘汰されていくんだろうなと思った。

 でもここまで考えているのに流行の動画みたいな事やるのは嫌なのなぁぜなぁぜ?

 無理やり使っている感じで自分で書いていてもどえらい恥ずかしい、これじゃあ僕がバズる何かを生み出すのはまだまだ遠い先の話なのかもしれない。

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