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守ってくれる市松人形

 おじいちゃんのお通夜、お葬式の前後、自分は祖父母の古い家の二階に泊まっていた。
 当時は今のように葬祭会館のような施設はほとんど無かったし、自宅でお通夜、葬儀を行うのが普通だった。

 父母や他の親族はみな一階に居たのだが、自分は急階段を上がった二階、床の間のある部屋に寝ていた。
 昼間はたくさんの人がみえて賑やかだった家は、夜になると静まりかえり、部屋の電気を消すと、一階からぼそぼそと話す声だけが聞こえてくるだけだった。

 聞こえてこないのはおじいちゃんの声だけで、本当にもう居ないんだ、と思うと布団をかぶって泣いていた。
 でもなかなか寝つかれず顔を出して見上げると、床の間の横にある違い棚に、姉と弟、二体の市松人形が乗っていた。

 ずっと前から、たぶん何十年も同じ場所に飾ってあったのだと思う。
 それはまるで、悲しみに暮れ泣いている子どもをやさしく見まもるかのようだった。起き出して人形に顔を近づけたが、何も言わなかったし動くこともなかった。しかし確かな温もりを感じて、なんだか少し安心したのを覚えている。



 それから二十年以上が経って、人形の夢を何日か続けて見た。
 二体の市松人形はそれぞれ古いガラスケースに入っていたのだが、なぜかそこから出て歩いてくるというふしぎな夢だった。そのうちの一日はあの大地震の日だった。

 実家も祖父母の家も全壊するという大損害を被ったし、家の状態から見て、全員が死亡していてもおかしくはなかった。しかしとにかく、両親は危険な家からほぼ無傷で脱出できたし、実家で同居していた祖母は、コンクリート造りの病院に入院中だったので助かった。

 とりあえず事態が落ち着いてから、誰も住んでいない祖母の家を母と二人で見に行った。
 瓦も壁もすべて落ちてしまうひどい状態だったが、二階を見てびっくりした。

 違い棚やその付近に置いてあった物は全部が落ちて割れていたのだが、市松人形だけはガラスケースが割れることもなく、場所がずれることもなく、あの時のままそこにあったのだ。
 しかも、まるで人形がそこから出て行って戻ってきたばかりのように、二体とも真後ろを向いていたのだ。

 揺れは相当ひどかったから、普通に考えれば人形は畳の上に落ちて、古いガラスケースは粉々になっていただろう。
 もちろん、揺れ具合の関係で、たまたま助かっただけかも知れない。
 自分はケースを開けて、人形を百八十度回して前向きに置き直した。怖かったんだね、いや、みんなを守ってくれてありがとう、かな。

 その後、人形は祖父母の家を手放してから実家の和室に移り、実家を手放した今は自宅の自分の部屋にある。
 妻は人形というものが苦手なので、母の友人で人形を大事にしてくれそうな人に譲るという話になった。ところがその人の娘さんが怖がったため譲る話はなくなり、結局、今も自分の手元にある。

 きっと自分が生きている間は一緒にいる運命なのだろう。
 いつか自分が死んだら子どもへ、感謝を込めて引き継ぐべきなのだろうと思っている。


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