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文藝賞に落ちました

別に報告する必要もないのですが、書きました。

応募したときは自信があったのですが、文藝秋号を読んで、「ああ、こりゃダメだな」と思いました。なので、悔いはないです。

応募作は遠野さんの『教育』と比べても悪い作品ではないとは思いました。まあ、遠野さんの作品も長編小説の体をなしていない駄作なんですけどね。それはともかく、応募作がこの作品と同じ雑誌に載るようなものかといわれたら、はっきりと「ノー」と答えられます。これはクオリティではなく、相性の問題ですね。相性がダメなら、最初からダメなのです。

文藝冬号は買いません。受賞作を読む気にもなりません。自分が一次選考に通ったかを確認するために立ち読みはしますが。でも、それは悔しいからではないです。あの賞に応募してしまった以上、どう読んでも、うがった目で読むことしかできないからです。あら探しをしてしまうと思うんです。それだと読んでも全然面白くない。それなら別の傑作を読んだほうがいいと私は思っています。まあ、芥川賞を取ったら読みますが。

私は年齢が40を過ぎていますので、坂上編集長や矢島さんがいうような「若い感性」はないです。でも、この若い感性ってなんだろうって思うんですよね。それはあくまで「若い」+「感性」=「若い感性」って公式で成り立ってるものなんじゃないかな。

YOASOBIだって、正体がアラフォーだったら誰も若い感性だと思わない気がする。歌自体は古くさいもの。David Guetta が Titanium を作ったとき、いまの私よりも歳を取ってた。でも、若者にはウケた。そればかりか、EDMという音楽ジャンルの代表曲にさえなった。

自分と David Guetta を同列に扱うつもりはないですが、でも、年齢で感性の若さを図るってつまんないんじゃないですかね。せっかく作品がそこにあるんだから、作品で若さを判断してもらいたいですね。

まあ、私の作品はどう読んでもおっさん臭いと言われるのがオチかもしれませんが。

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