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商品ラベル「20代独身女性」からのお願い

人々の生活スタイルが変わり、首都圏の会社に勤めている人が地方で生活を送ることがグッと現実味を帯びてきたこの頃。首都圏から地方にUターンして仕事をする私から、地方に移住してきた人を受け入れる側への、ちょっとしたお願い。


大学卒業後、または首都圏での就職後に生まれ育った場所にUターンした人や、それまでは縁がなかった場所に移住した人って一部いますよね。その理由は様々で。「どうしても帰ってくるように言われた」とか「帰ってくることが条件の県外進学だった」とか地方特有の保守的な理由からのUターンもあれば、「親が病気になって」などやむを得ない事情からのUターンもあるでしょう。もちろん、「家業を継ごうと思った」または縁のなかった場所であっても「地方でやりたい仕事が見つかった」など自分で決めた人も多いはず。私は自ら帰ってきたタイプです。

自分で決めて帰ってきたのだけど、生活していれば帰ってきてよかったこともある一方で、少し後悔したこともあります。「こんな思いを繰り返すうち、そっと再び地方を離れて首都圏に戻ってしまう人もいるのでは?」と思うことがある。そうした居心地の悪さについて。これは20パーセントの怒りと80パーセントの悲しみの気持ち。



私が地方にUターンして後悔していることは、自分という存在が属性で把握されることが多くなったように感じる点。私という個人ではなく。

どういうことかというと、ここで私はきっと「20代独身女性」というラベルで把握されている。そういうラベルを貼りつけられる感覚になるときがある。帰ってきてからずっと。浅い関係ではとくに。
私のような「20代独身女性」には、家族や仕事の関係以外で、突然目の前にお見合い話を持ったおじさんが現れる。世の中ではおばさんの場合も多いだろうが、私の場合は毎回おじさんだ。これが、なんとも生きている心地のしない話も多くあるわけで。
Uターン後に私が体験した印象に残っている出来事を2つ。



その1:うちの一押しの社員
この話を持ってきたのは、うちの従業員の友人70代。その友人はこちらの地域でそれなりに大きな数の従業員を抱える会社の社長。うちのお店では常連と言われるお客さんでもあり、こちらもそれなりの対応をしていた関係だった。その社長、社内でも自分が可愛がっているある社員にお嫁さんが来ないなんておかしい!と思ったのか、お見合い話をもってきたのだが、そのやり方が私の許容範囲を超えていた。以下、向こうの社長の言い分↓


向こうは母子家庭だけど、私が一人っ子で家の跡継ぎだから向こうから婿に出す許可をとってきた。(→ちなみに私は一人っ子ではなく兄がいるし、魚屋の後を継いだけど家は継いでいない。兄は魚屋の仕事をしていないから恐らく会ったことがなく知らないのだろう。)
社内で他にも候補はいたが、その中から婿入りできる人間を選んできた。(→いや、だから婿は取らないのだけど)
・向こうには私の話をしてあり是非にと言っている。(→たぶん社長にお見合い話をされて断れないだけで、是非にと言わざるを得なかったのだろう。ご愁傷様です。)
・仕事もできて本当にいいやつなんだ。(→じゃお見合い必要ないでしょ)
・私の父親には話を通してある。(→たぶん通してないし、うちの父はそういうの真面目に聞かない、右から左へ流してる)
私にももう時間がない(→あなたに言われることではない)

普段の私の性格なら、いくらお店に大きなお金を落としてくれているお客さんでも、縁が切れることを承知でスパッと無視しちゃうところだろう。けど、うちで長く働いてきてくれた従業員の友人という点で、失礼なことをしては従業員がかわいそうだ…と思ってしまい、愛想笑いしながらノラリクラリとかわしていた。そしたらついにある日、その社長が注文した商品の受け取りに、いつもの運転手ではなくどうやらそのお見合い相手らしき社員を派遣してきた。
その方が来店されたタイミングは忙しかったこともあり、そこで私の中の何かがキレてしまい、その方の前から姿を消してしまいました。この時の私の心の中を言えば。

・なに社長に言われたままに荷物取りに来てるんだ!
・「昆布締め何ありますか?」ってその台詞、社長に仕込まれてきたでしょ!
・あんたに意思はないのか!(社長に逆らえないという立場にないからわかってあげられないしあなたにも事情はあるでしょうが…断ってくれ!)


このとき突然消えてその方がお帰りになるまで裏で謎に蟹の茹で釜を磨いている私の姿を見てお店のメンバーは「は?」だったろうけど。あそこに居合わせたら文句の一つや二つ言ってた気がする。たぶん本当にキレちゃってた。
わいてくるのは、この店を何しにくるところだと思ってる?という怒り。ここは私が守っていこうと決めた大切なお店。東京で生活しているときから少しずつ準備のために往復し、時間と労力をかけてきているもの。私にとっては聖地みたいな場所なのだ。ここでは私も含めて会社とお店のメンバーが嫌な気持ちになることがあってはならない。心地よく働ける場所を作ろうとしているのに。それは誰によっても侵されてはいけないものだったのに、社長はそれを侵してきたわけで。今までありがとうございました、さようなら、の気持ちで消えさせていただきました。



その2:取引先金融機関からのお見合い斡旋(相手の情報なし)
ある日取引先の金融機関に行ったとき、うちの会社の担当ではない普段あまり関わりのない方(けど一応偉いらしい)に個室に呼び出された。「たぶんこの人と話すことないんだけど…」と思いつつ座ると、「酒井さん、独身やったよね?ご予定とか…?」と下手な会話で探りを入れ始め、話を聞いているとどうやらその金融機関の理事か何か重要な会社の社長の息子に嫁が来ないと。で、その社長は息子が結婚して跡取りができないと安心して死ねんわ、的なことを言っているらしい。
(いや、結婚したからと言って子どもを授かるかもわからないのに、跡取りのために結婚っていうのも今どき珍しい。それに、息子に会社の後を継がせてさらにその子どもに会社を継がせることを予定して跡取りを欲しがっている社長とか大丈夫か…?まずその親を悩ませる息子ではなく他の能力のある人に会社を渡すことをお勧めする。)
とにかく、息子が結婚できずに困っている社長のために金融機関の方でも嫁探しを頼まれた、とのことだった。
まぁ何が言いたいのか察しがついてきたところで、「今相手はおられるんけ?」と突然本題に入り、「いません(いてもあなたに言わないし…)」と答えた次の瞬間。「なら一回会うてみんけ?」ときた。
彼氏いるの?→いない→じゃお見合いしようぜ!ってこと。

・え?どんな会社の人とかそういう情報ないの?あっても会わないけど。
・年齢さえ聞いてない。
本人に関する情報一切なしで会えと?
・ていうかさっきからなぜにタメ口?
・たぶん嫁探しをしてほしい範囲は女性行員では?お客さんにまで捜索の手を伸ばしてはならぬのだよ、常識的に。


そして私がこの一連の会話の中で最も驚きだったことは、この人がさっきから何回も何回も繰り返すこの言葉。「とにかくこの方お金持ってはるから!」

お金持ってると言えば、私が会うと思ったのか?私はお金を持っている相手ならホイホイついていく女に見えているということか?もしかしたら、「お金持ってる」くらいしかアピールポイントのない人なのか…?
なんでもいいが、「お金持ってる」という1つの情報でお見合いをすることはないし、金融機関でお見合いの斡旋をされる筋合いはない。そして私は思い出した。この人の失礼加減に記憶がある。
私が自分の会社の代表になって間もないころ、担当の人と話していてその方が席を立った瞬間私の前に突然座り、「いやぁ~この学歴で、なんで魚屋なんか?もっといい会社どこでも入れたやろに~また何で?」って言ってきた人だ。この人、海に近いこの地域にはこれまでどれだけの件数の町の小さな魚屋があって、多くは閉業していく状況でもあるが、いまでも残っているお店の多くがここを利用していることをわかってるのか…その立場でよく「魚屋なんか」とか言えたものだ。それを思い出したら、なんというか、「あ、こんな人でも地銀の本店の偉いポストくらいにはなれるのか、世の中楽勝やな」と悟った私は心が無になった。そして何の言葉も出ず、「結構ですので」を繰り返し、その場をあとにした。
個室を出て出口へ向かう途中、私に注がれたのは窓口の女性行員たちからの憐みの目。この子ら聞いてたんだな。前から薄々気づいていたけど、さっきの人、女性行員からめっちゃ嫌われてるやん。
次の日、心が無になった状態から少し回復し、これ黙ってちゃいけないなと思い、うちの担当の人に昨日あったことを話すと、どうやらその嫁探しをしている人は50歳くらいとのことが判明。そしてもうずーっと何年も探してて見つからないと。
私、当時28歳。探しても探してもお嫁さんが見つからない50歳の人のところに送られるところでした。これは田舎に帰ってきてからの1番の衝撃の事件。


こんな扱いを受けて、マジで取引先変えねば!と思ったが、それは段取りもあるし、その時はとりあえず置いておいて。私って何?となった瞬間だった。「私って魚屋を継ぐために帰ってきたんだよね?仕事しよう、仕事!」という自問自答を何日か繰り返すことで怒りと悲しみから回復した記憶がある。



こうしたいくつかの経験からわかったこと。

この場所では、ここで出会う人々にとっては、私は顔の見えない相手と突然引き合わせてもいい程度の女、自分の会社の余り物を押し付けてもいい相手、若者同士をお見合いさせるという年配者の娯楽の駒のひとつになる女、偉い人へのヨイショのために差し出せる女だと思われていることを学んだ。

怒りを通り越して悲しみがわいてくる。

自分という一人の人間が、私個人としてではなく、「20代独身女性」という属性で捉えられ、相手が思う私の価値が自分の想定よりもグッと低くなって見える。この屈辱感は、他にはない。仕事やプライベートで感じるのとはまた違う、「私ってここで大切にされてないな」の感覚。こんなことが続くと、正直ここにいることが息苦しいときもある。



地方に生活拠点を移してこんな気持ちになる人がいるなんて、地域にとってもったいない。1人就労人口が増えたのに、1人分生産能力が上がる可能性があるのに、こんな気持ちにさせるの、やめません?

べつに自分を都会から田舎に帰ってきてくれた貴重な存在だなんて言うつもりはないし、私はそんなこと言えるほどの人材ではない。けど、せっかく生まれ育った田舎を働く場に選んだ若者にこんな思いをさせているようでは、地方に移住した身として、今首都圏にいる人たちに移住はオススメできない。


ここで働き、ここで家族を作り生活をしてきた、この土地を愛する人たちへ。まず、ありのままの私たちを受け入れてもらうことはできませんか?1人帰ってきたらそれを2人に、そして産めよ増やせよと欲張る気持ちを一瞬抑えてもらうことはできませんか?

これは、世代間ギャップとか、今どきの若者は!とか、晩婚化への懸念とか、そういうのではない。礼儀の問題だと思うのです。そして、単純に他人の考えや価値観を否定しないという、思いやりの問題かと。
戻る側も、受け入れる側も、お互いに最低限の礼儀やルールを守って生活しませんか?
こればかりは、ハード面の整備、行政からのサービスではどうにもならない。帰ってこられる地域、移住してきた人が自分らしく暮らせる町であってほしい。それを「配慮」や「思いやり」で少しずつカバーしていくことは難しいだろうか。

Uターンして2度目の夏に思うこと。

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魚屋のお姉さん。富山県新湊で祖父から続くお店・伍右衛門の3代目(ただいま店舗修繕準備で休業中)。続いてきた商売を時代の変化に応じて「変えること」よりも文化の発信拠点として「守ること」を目標としています。時代や環境が変わってもそこで長く続いていくリアル店舗が好きです。