タケミツ・メモリアル (没後二十年武満徹オーケストラ・コンサート)

 たしかに音楽の授業で《ノヴェンバー・ステップス》くらいは聴かされるかもしれないが、それで武満徹の名前を憶え、ましてや興味を持ったものなど、どれくらいいるのかは推して知るべしといったところで、大抵はその名を記憶することもくちにすることもないまま、人生を送ってしまっているひとがほとんどなのだとおもう。それでも二〇一六年十月十三日、東京オペラシティで没後二十年を追悼するために開かれたコンサート(オリヴァー・ナッセン指揮、東京フィルハーモニー交響楽団)には、普段クラシック音楽すら聴くこともなさそうな風貌の若者がまぎれこんでいたり、生前深く交流のあった老詩人の姿などを見かけもするのは、集まったひとびとにとってはその名がなによりまばゆげで、なにか特別な感傷に浸らせもするからなのだろう。それほど長いとはいえない生涯のうちに、そのわりには多くの作品を書いてきた彼の名は、邦人作曲家のなかでは海外でもひろく知られているし、演奏の機会にも恵まれてきた。それはおそらくはあからさまなオリエンタリズムに傾倒することのなかった彼の作品が、当時のダルムシュタットを中心とした前衛主義とも適度に隔たった位置から書かれつづけ、あるいはドビュッシーの正統な後継者と看做され得るほどに、多彩な質感を生みだす管弦楽法を身につけていたからかもしれない。
 第一部で《地平線のドーリア》のあとに演奏された、いまではあまり顧みられることの少ない初期の声楽曲である《環礁》の実演に臨むことができたのは、個人的にはとても幸いなことだったと記しておきたい(休憩をはさんだ第二部では《テクスチュアズ》、《グリーン》、《夢の引用 ――Say sea, take me!――》が披露された)。中学時代、この作品をはじめてCDで聴いたときの驚きはきわめて鮮烈なものだった。普段聴いたり唄ったりするのとはまるで違う、跳躍の多い旋律を持つ技巧的なソプラノ独唱は、当時のわたしにとってはひどくヒステリックでいたずらに不安感を煽るものだったが、それよりも二曲目の最後で、ほとんど絶叫するに「太陽/空にはりつけられた/球根」と歌うのには、少しくふきだしてしまいそうにもなりつつも啞然としたのだった。西洋で生まれ、発展した音楽形式に、無理やり日本語をあてはめることの困難さを知った、とでもいうべきだろうか。けれどもなぜか、その体験がつよく残りつづけ、またこの作品が現代詩とのいささか珍かな邂逅になってしまったのは、いまおもえばどこかしら運命的だとさえ感じられもするのだ。今回独唱を担当したクレア・ブースの歌唱は、もはや何語なのか聴取することすらむつかしいくらいではあったが、とはいえそれは日本語の発音のむつかしさゆえなのだろうし、なにより唄われる内容を正確に聴きとることが重要なのでもないのだから、振幅の大きいつよめのヴィブラートが、終始緊迫したこの作品にはふさわしく、大岡信の鋭利な詩を唄うのにもちょうどいいのだろう。

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