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わたしのnoteは「もうあかん」から始まった。

私の「もうあかん」
何からはじまったのか。もうわからん。
ただ、「もうあかん」がなければnoteに書く事はしていない。

1年前、長男→次男と不登校連鎖。どうしたら良いか悩み悩みのたうち回ってるところに、母が脳出血で倒れるっていうカウンターパンチ。
学校、会社、病院、介護保険手続き、家事諸々をこなしてこなして、今年3月、我が家の希望の星!新築新居引っ越し直前、今度は旦那からジャブを決められる。
会社のメンタルヘルスの面談で病院に行くように勧められ行ってきたと。とりあえず、一週間病休と。抑うつ、軽うつ、高血圧。私同様彼もストレスフルだったのだ。元々とっても繊細さん。でもね‥ローン始まるよー!クビになるこたないけど私の不安MAX!でも2度目だから免疫がある。大丈夫といいきかせる。
そんなこんなで長男中学校入学式10分前。母のケアマネージャーさんから電話が入る。
「お母さんと連絡がつかなくて‥アパートに来てるんですけど。」
「え‥あの今息子の入学式始まるとこで‥」「あー!それはごめんなさい。もう少しかけてみます。」
なんで今?一昨日行った時は普通だったぞ。ぐるぐるぐるぐるグルコサミン♪
入学式を抜け、私も何度もかける。やっぱり出ない。合鴨‥違う合鍵作ろうと思ってた矢先かい!色々な覚悟が心によぎる。

その日の夜‥私は病院のER病棟で入院手続きをしていた。夕方、ケアマネさんと民生委員さんが警察に通報→鍵を開けて入ると母が倒れている→救急搬送→ER。私は現場にいなかった。ケアマネさんの緊迫した短い電話でホントに危ないと思った。
きっと現場はドラマのような展開だったにちがいない。事実、母は倒れてから半日経っていて体温が33℃まで下がり、危なかったのだ。
母には持病があり薬が命綱だ。私も頻繁には行けない。訪問看護週2、ディサービス週2。介護認定1では使えるサービスにも限界がある。出来ない事が増えてきた母に、見守りカメラや食事の宅配、生協と色々環境を整えようとしていた矢先の母の昏倒は必殺一撃のアッパーカット。

母は帰宅を目標にリハビリ中。認知もはじまった母。記憶力が低下していて医師は施設をすすめるけど、介護1って特別養護老人ホームには入れない。他の老人施設は高額で宝クジでも当たらない限りはムリムリ!同居はわたしが壊れる。
相談員さんやケアマネさんと話しながら、最善を見つけるしかない。まだまだ先は長い。BGMは松山千春さんの「季節の中で」をかけてほしい。

現在、主人は2ヶ月の休養を経て少しずつ会社に復帰していて、長男は時短の別室登校だけど毎日学校に行っている。次男は模索中だけど。私の中にある昭和の当たり前を令和アップデートしながら、次男らしくいれる環境を作りたい、見つけたい。

さて、私のあかんはまだまだ続きそうですが、あかん時はだいたいnoteにつぶやくでしょう(笑) よろしくおねがいします!


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