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2023/10/30 鍵がない

娘の歯の定期健診が終わり、歯医者の外で自転車の鍵を探している時は、確かにバッグの底に鍵があった。そしてスーパーに寄って家のドアの前で、「今 開けるからね」と、バッグに手を入れ、何度ぐるぐるまさぐっても、いつもの鍵の感触がない。

(さっきポーチに入れたんだっけ?)と、バッグの中のポーチを開け、もしや、とさっき買ったばかりのアイスの袋、持っているものすべてを床にぶちまけ、しらみつぶしにじっくり見ても、とにかくどこにも家の鍵がない。

(ああ、こんな時はどうしたっけ)
家の鍵がないけれど、どうしても家の中に入りたい、
そんなの人生で何回もあった。

小学生の時は、だいたいトイレの小窓がいつも開いていた。塀に上って小窓に両腕を入れてしまえば、確かに狭くて苦しくて痛かったけれど、家の中には滑り込めた。
(窓、どこかに密かに開いている窓は…) と思案したけど、そんな窓、あるわけない。東京のマンションにそんな抜けみたいなの、ない。

実家の小窓も気まぐれできちんと施錠されている時もある。だけど、そんな時は、物置にある隠し場所で鍵が見つかることもあった。物置かぁーと思ったけど、もちろん部屋の外に物置はないし、何しろマンションのドアの外は共有スペースだから、鍵の隠し場所なんてないのだ。

(鍵が本当になかったら、とりあえず夫の職場に行ってもらってくるしかないよなぁ、今日完全にノーメークだから、こんな私がのこのこ職場にいったら、夫嫌な顔するだろう、うわーむかつく)
と考えながら、来た道を戻り、さっき買ったアイスがカップアイスじゃなくてパピコでよかった、とほんの少しの幸運を喜び、ついさっきお会計してもらったばかりのスーパーのレジで、「鍵の落し物はなかったですか?」 
と、すがるように尋ねたら、普通にあった。

レジの前で財布や、Tポイントカードのためのスマホを引っ張り出した拍子に、鍵も飛び出てしまったようだ。もうこれからは、鍵はポーチに入れておこう、と自分に誓った。レジの前で、TポイントやらDポイントやら、楽天ポイントやら、ポイントポイントであたふたするのも、今後しっかり気を付けたい。

最後に本当に鍵がなくて困ったのは、もう20年も前の事だ。会社に上着を忘れた私は、家のドアの前で、そのポケットに鍵が入っていた事に気が付いた。港区海岸の会社は、夜の吉祥寺のアパートからは遥か彼方ほどに遠い。薄っぺらい安普請のアパートのドアは、簡単に開きそうだけど、やっぱり叩き破るわけにはいかない。困って途方に暮れて、端の部屋の田中さんのドアを叩いた。田中さんは優しいおばさんで、10代の娘さんと二人暮らしだ。

田中さんが、タウンページで鍵屋さんを見つけてくれたと思う。携帯ですぐに連絡をして、鍵屋さんの到着を待っている間、「寒いでしょ」と田中さんが家の中に招いてくれた。

質素に整えられた田中さんちのちゃぶ台でお茶をすすりながら、娘さんが「インターネットをやりたいんだけど、ダイヤルアップ?っていうので繋げばいいんですか?」
と聞くから、
「もうダイヤルアップで繋いでいる人なんて全然いないよ、電話代かかるから、ダイヤルアップは絶対だめよ」
と言う私の当たり前のアドバイスに、神妙な顔をして頷いていた娘さんも、今やすっかり大人のはずだ。

到着した鍵屋さんは、恐ろしいほど瞬時に鍵を開けてくれた。走り書きで渡された請求書は、ボロアパートに住む私には結構高かったから、「安くしてください」とためしに言ってみたら、本当に安くなった。20代だとそんなことも言えたなぁ、懐かしい。私はもう、そんなこと言えない。

なにしろ、鍵があってよかったよ。



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