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食べる物に感謝なのです

「食べる事は一番簡単なストレス解消法なので、ストレスが溜まったら食べる事を自分に許してください。」

これは次女が心療内科で教えられた言葉だ。

次女は随分昔から心療内科に通っていて、月1でそこで薬を処方して貰ったり、現在の状況を話したりしている。

中学生の頃から、色々な心療内科に通って、今が一番いい様で、薬を飲んで気持ちを落ち着かせている。

その先生に、ダイエットを始めて少し瘦せたけれど、疲れた時にはどうしても食べたくなると相談したらしい。

それに対して先生のくれたアドバイスが、食べる事を許せと言う話だった。

うーん、解ってるのよ、偶には食べ過ぎても、運動が出来なくても、ずっとじゃ無ければ良いって事は。

だけど、人間って一度タガが外れると、ずるずると大食の道に向かってしまう。

どうしても沢山食べられない人間以外は、食べ過ぎたーとなってしまうのだ。

次女はそれを考えて、先生に相談したのだが、先生からしたら、それでストレスが溜まって鬱に向かうと大変だ。

やり過ぎないでね、という事なのだろう。

次女は次の給与が出たら、外食をしたいと言い出した。

そりゃあ、彼女はワイン酒場に居る時期には、とんでもない額を外食に使っていたから、外食はしたくなる。

それでも、節約大事な我が家では、そこは家で食べた方が良いと諭してみる。

「給料が出たら、焼き肉の食べ放題に行きたい。」食べ放題??焼肉???肉焼くのなら、家の方が良いじゃん、だって技術が居る訳でも無いし。

そう考えたので、言ってみる。

「焼肉なら家で焼いたら、好きなだけ買って、食べて食べ放題しても、外食よりも安いよ。

焼肉の技術の要らない所に、何だか違和感があって、私なら家で勝手に食べ放題だ。

「そうかー、肉買って来て、好きなだけ食べても、外食で使うのよりも安いかも。」次女もその気になって、給料が出たら、肉をたんまり買って食べると宣言した。

その次女が仕事終わりにLINEしてくる、如何にも勝手に焼き放題が直ぐにしたいらしい。

じゃあ、家にあるお金で焼き肉をすれば良いんじゃ無いだろうか。

「自分のお金使わなくても、家のお財布で買ったらいいよ。」と答えた。

我が家では2人でお金を出し合って、その中から家賃や光熱費、食費を使っている。

今月はちょっとマイナスだが、私の財布からお金を入れたので、今の所はお金がある。

「じゃあ、後でお金を入れるという事で、明日は休みだから、焼肉パーティーだ。

何時もの激安スーパーで無く、駅前のスーパーで買い物をする。

「肉は多めに買って置くかな。」次女が躊躇わずに入れるので、そんなに買って食べれるのか?と見ていた。

「2人やから、そんなには食べられへんで。」思わず手元を見て、声を掛ける。

「大丈夫、余ったら残して置いたらええし。」外食の代わりと言えば安いものだが、チョット買い過ぎちゃう。

「これさ、名古屋に行って、食べ放題食べるよりもずっと安いよ。」随分と肉が食べたかったのだろう、節約で買わなかったのを、チョット後悔した。

近所に丸賢という肉屋があって、そこは何を隠そう、数年前の12月頃にアルバイトをしていた。

年末の忙しい時なので、終わった後にくじで何かを貰えると言われて、松阪肉が当って欲しいと騒いでいたら、ステーキ肉が当った。

当ったステーキ肉勿論松阪肉

これは良い、ステーキなんて数年食べてないと、直ぐに焼いて皆で食べた。

これが柔らかくて美味しかった、しかし次女としてはこの肉は柔らかすぎたようだ。

焼いたステーキ肉

「肉ってこんなに柔らかく無くてもええんよ、オージービーフみたいなのが一番、と言う。

当然、籠の中は国産和牛では無く、オージービーフが中心だ。

人の好みというのは良く分からない、自分の子供でも柔らかい肉よりもしっかりした歯ごたえと言われると、なんでなんって気持ちになる。

子供って親が食事を出して、それを一緒に食べているのだから、好みも同じになりそうな物なのに、いつの間にか違ってくるのだな。

家に帰ると、待ちきれないようで、先にお風呂に入って、私が風呂に入って居る間に、肉や野菜を焼いていた。

焼いた野菜とか諸々

「もう焼いてあるよ、美味しそう。」と椅子に座って私が座るのを待っている。

「ありがとう、美味しそうや、匂いが又そそるんだよね。」私がそう言って座る。

「頂きます。」2人で言って、箸を持つ、昔、いただきますと手を合わせるのは宗教的だと言った同級生のお母さんの言葉を思い出す。

宗教的でも良いじゃない、食べ物に感謝して頂きますで、私としてはそう思う。

肉やソーセージ類

人間は生きている物(動物や植物)の命を貰わなければ生きて行けない。

ベジタリアンだって、野菜の命は食べているのだ、命は貰って居る。

その命に対して、頂きますと手を合わせるのは、宗教的というよりは、感謝の行動に思えてくる。

人は1つの方向から物を見ると、他の見方が出来ない、宗教的な物は学校では止めて欲しいと言う人は、食べ物に感謝するのも宗教的というのかな??

沢山の肉を食べながらそう思った、2人では食べきれなかったけどね。


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