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人は自分の心を映し出す鏡

もう一度会いたいと思った人(異性)がいた。相手は日本の省庁に務めるいわゆるエリート。相手の都合を聞いたが、結局返事がなかった。ちーん。相手は確実に私に興味がないじゃないか。諦めるか。そうだ、潔く諦めよう。すがって自分を惨めな気持ちにさせる必要もない。でも正直悔しい。私だけが興味があるというのが悔しい。ちょっとくらい私に興味を持てよコラぁ。
でもでもでも、エリートだったら周りに魅力的な女性がいっぱいいるだろう。だったら私なんてたいしたことない田舎暮らしの中年女以外のなにものでもないのだろう。所詮私には高嶺の花だったのだ。2 回目のちーん。そしてやさぐれモード突入。ここからは自分の価値を下げるような考えが浮かんできて止まらない。あーあ、やっぱり私は年老いた両親の面倒を見ながら一生独身で寂しい人生を送るのか。。。

・・・これが自動運転(オートパイロット)のときの私。一方で、私が取りたいと思っている態度はこんな感じ。

出会ったばかりの人だったけどもう一度会いたいと思った人(異性)がいた。相手は日本の省庁に務めるいわゆるエリート。相手の都合を聞いたが、結局返事がなかった。ちーん。相手は私に興味がないのかな。さぁ、自分のやることやろう!今日もいい日にしよう。

つまり、私がなりたいのは外側に左右されない自分軸で動ける自分。どんな状況でも自分の望む現実を創り出せる自分。

オートパイロットの怠惰な自分は、どこかで人に幸せにしてもらおうと思っている。それ自体は悪いことじゃないかもしれない。しかし私の場合、「私は人に幸せにしてもらおうなんて思ってませんよ」「私を養ってなんて言うつもりはありませんよ」という態度を取ってしまうので、本当に思っていることと外側に見せている態度が一致せず、自分でもだんだん整合性がとれなってくる。

「すがって自分を惨めな気持ちにさせる必要もない 」--- そもそも、相手に頼ろうと思ってなければ、あるいは、相手に頼ろうとしていることを認めて正々堂々と公言できていれば、自分が惨めな気持ちになることなんてないのだろう。知らんけど。

自分のこころなのに思い通りにならないもどかしさよ。

しかしありがたいことに、私は気づいた。結局私は自分の幸せしか考えていない。相手の存在をありのままに感じていないのだ。「高学歴」「高身長」「高収入」「エリート」という属性が入っている人の形をしたフレームを眺めて「これが手に入ったら」と妄想しているだけ。

こんなの相手に失礼極まりないじゃないか。過去にもこうして恋愛で失敗してきたじゃないか。同じ轍は踏みたくない。次は意図的に違う態度を取ろう。相手をしっかり見よう。その人の幸せを願おう。

いろんな出来事は見方を変えれば機会の道になる。


※Pexelsのmikoto.raw Photographerによる写真 を使用しています。

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