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ヴァージンVSにたどり着くまで 18

ヴァージンVSにたどり着くまで 18

~1972年4月~8月 私がウエストロードを去るまでのコンサート記録を中心に 6~

「キャロル」に関しては、貴重な証言を頂いたりしておりますので、後日改めて掲載いたします。
本日は1972年7月8日、同志社大学学生会館ホール「幻想空間」というコンサートの模様から。

この時は確か「はっぴいえんど」と一緒だったはずですが、私の記録には何も書いていない。
だが、なぜ覚えているかというと、鈴木茂氏が弾いていたのは確かギブソンのファイアーバードだったかと思いますが、その音を聞いて塩次さんが「いかにも舶来のギターの音やな」と言ったので覚えている次第です。
なぜブルースバンドと「はっぴいえんど」が一緒に出たのか、その取り合わせの根拠は謎です。
でも当時はそうだったかも。ジャンル関係なしってことで。
この時はI’m ReadyとMojo Workin’を妹尾ちゃんと一緒にやったと書いてあります。

妹尾先輩とはこの少し前に、大阪梅田の東通り商店街にあった「ゴーゴー喫茶」でCreamのTrain Timeを2人で吹きまくったことがあり、「こんなにハープを吹ける人は初めてや」と私が妹尾先輩にいうと、先輩も「オレもお前みたいに吹ける奴は初めて見た」と大変なお褒めのお言葉を頂きましたが、何やら勝新太郎さんと若山富三郎さんのお互いホメ殺しのような塩梅ですね。
楽屋に行くと、これまた伊藤銀次先輩がいらっしゃり、「またアホが一人増えたんか」といわれましたっけ。

で、コンサートに戻りますが、この時はどうやらPAらしきものを使用していたようです。
京都のYさんという人が個人的にPA機材や大型アンプをそろえ、今でいう音響屋さんのようなことを始めていました。
家に行くとOrangeの三段積みのギターアンプがありました。
このYさんのシステムを使ったようですが、私の記録には、音が全然聞こえなかったと書いてあります。
そりゃそうですわ、たぶんモニターというものはなかったはず。
客席に向かっての出音を聞いて演奏するのだから、聞こえづらくてもしょうがありません。
今なら理解できますが、当時は音が聞こえないのはYさんのせいだと思い、ブツブツ、プンプンでした。Yさんすんませんでした。
今頃謝っても50年ほど遅いわ・・・。

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