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大人のピアノ練習法;表現に悩んだら・・・。

音楽的表現の練習方法について

こんにちは。

今日は私がやっているピアノ練習法のうち音楽表現を詰めていく時に取り入れている方法を書いてみます。

ピアノの練習で技術的なことの解決とは別に、音楽的表現の研究って煮詰まってくることがないでしょうか?

私は、ある程度音楽的な着想や自分の中で表現したいものが纏まってきたけれど、いま一歩、しっくりこない!

もしくは、着想が沸かない・・・とか。そもそもこの曲よう分からん・・・。

など悩んだ時に

巨匠の演奏をなぞる。

つまり、同時に真似して弾いてみる

というのをやります。

書道には先人の書を真似て習う「臨書」というのがあるそうですが、模倣するというのは、表面的に形を真似てうまく書けるように練習することだけではなくて、そこにある息遣いや、時代の風景を感じたり・・・その奥の奥にあるものをなぞり、身を持って追体験することで得られるものが沢山あるからなのだろうと思います。そして、それは一つの表現方法として芸術として認められている分野なのだろうと思っています・・・。

ピアノの場合、沢山の素晴らしい演奏が記録として残っていますし、コンサートで生の演奏を聴く機会も沢山あります。

良い演奏を聴くということが大切なことなのは当たり前ですが、演奏をなぞるのは、鑑賞するのとは違う発見がありますでの、おすすめな方法です。

ピアノの臨書;やり方

自分が好きなピアニストの演奏、巨匠と呼ばれるピアニストたちの演奏の音源をいくつか用意し、同時に弾いてみる。

ピアノの音が大きいと音源が掻き消えて聴こえないので、電子ピアノで無音にするのが一番いいです。

アップライトなら弱音ペダルを使ってもいいかと思いますが、自分の音が聴こえない方が音源に耳を集中できて良いと思います。なりきりピアニスト気分です♪

え?それだけ???

なんですが、これまで幾度となく何度も聴いている演奏であっても、実際に一緒に体を動かしてみると、意外な発見があります。

プロの演奏には技術的についていけない部分も多々ありますが、そういうところは全部無理に弾こうとしなくても大丈夫です。主要な音だけ拾ってみるとかそれも無理な難しいところは、弾いてるつもりで超妄想で補います。

自分が最終的に仕上げるテンポはそのピアニストが弾いているテンポとは多分違うのですから、無理にゴリゴリ弾く必要はないと思います

それに、この練習方法は音源とそっくり同じに弾けるようになるのが目的ではないので。(しかもこの練習方法はほんの数回でいいと思います。私も1,2回しかやりません。すごく気に入った部分は何度か繰り返してみることはありますが。)

どんな効果があるのか

この練習方法をやってきて、私が感じるメリットは色々とありますが、まず演奏の特に好きな部分がよりはっきりと分かってきます。この人の演奏すきだなぁ~から、もっと細かな部分で、どうなってるから好きなのか・・・この小節のこの音色がたまらないとか、こっからここへの持って行き方がたまらない・・・とか(ちょっと偏執的ですみません)具体的に好きが見えてきます。好きであるということは、自分が表現したいものの何かがそこに存在しているということではないかと。

そうやって自分が目指している音楽のヒントが見つかることが多いです。

それから、良い演奏のルバートはとっても辻褄が合っているというか、沢山の細かな緩急が組み合わさって、伸びた分がどんな風に取り戻されたのか体感できると思います。

聴いている時にもそれらは感じられるのですけど、真似てなぞってみると、自分が思っていたよりも、随分と伸び縮みしているなと感じることが多い。

あまりに自然すぎて気づかないくらいの僅かなルバートが実はかかっているのだなと発見できたり、全体としての構成が体感できて、より深い納得感を得ることができたり。

ルバート意外にもダイナミクスや音色の変化、自分には思いつかなかった表現に出会い、ハッとさせらることも。

自分の演奏とのギャップを感じた時、なぜそう感じたのか、なぜドキッとしたのか、その時どんな感情が湧き上がったのか・・・etc. 忘れないうちに楽譜にメモしておくといいと思います。

模倣練習なんてしたら、変なルバートとかがついて、おかしくなるんじゃないかと思われるかもしれませんが、はっきりいって、完璧に模倣して弾くことなんてできませんし、仮にそっくり演奏できるようになったとしても、自分の表現の中に取り込まれていく中で、自分らしさが加わり模倣からは変化していると思います。

表面的な模倣ではなく、その向こう側をなぞってみたい。

臨書ってそういう所にあるのではないかと想像しながら書いてみました。








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