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【観劇感想】「ヴェラキッカ」を観て

私のあらゆる趣味アカウントにおいて、TRUMPシリーズは有名だった。

TRUMPシリーズは友人から、既に布教されていて一回ずつは観ていた。昨年のYou Tubeのはじ繭時点で、初見だったのは黑世界のみではある。いわゆる?淡い繭期履修済みの人間である。そんな私が、ノリでヴェラキッカのチケットを入手した。TRUMPシリーズを現地にて初観劇した事による作用を感じ、色々思った感想をつらつら述べていく。


他シリーズのネタバレ含みます!

嘘はつけないので、正直感想です。

とりあえず、私自身の基本的な好みとして、”しんどさの先に何かしらの希望がある”ものである。

TRUMPシリーズは愛の物語だと伺うことはあれど、いまいち実感をしていなかった。その為、ただの地獄絵図シリーズでは?!などとと思っていたりしていた。

グランギニョルが私のTRUMPシリーズの親で、綺麗なヴァンプ達の絶望と希望の物語だと思っていたら、TRUMPでふざけるなと思い、COCOON月を観てからは、赤い花弁に恐怖を覚えるようになり、COCOON星で倒れた。

マリーゴールドは、煮えきらぬ思いで胸が痛いし、LILIUMなんてみたら、おいお前!!とソフィの胸ぐら掴みたくなり、、、黑世界で、リリーを観て死ぬかと思った。

強いて言うなら、黑世界のアイドル雷山が好きだ。ペンラとうちわを持って参戦したいぐらいである。

そんな中だが、スペクター再演は結構お気に入り。臥万里カッコ良すぎるだろ!

まぁ、何が言いたいかというと、個人的には地獄絵図過ぎて、観劇した後に何を感じればいいのか私にはわからなかった。

永遠の命とか、、、元凶さえいなければ、、、と、一人の命で(奪えないが)大多数は救われたのでは等と、無意味な思いを懐きつつ、なんでこんなに正面から辛いんだよ!!と半ギレでいつも見ていた。

楽しかったと言うには、登場人物は酷であるし、、、。

せめて物語の中では、解決や希望が、存在して欲しい人間にとって、ライティングや衣装、楽曲が大変好みである!!までが、心から言える感想だったのだ。

まぁ、よくよく考えれば世の中理不尽であるし、事が集結に向かうまで良し悪しなどわからないし(何なら、誰にとっての良し悪しで見方は変わるだろうし)、大抵のことは突如やってくるアレコレに翻弄されているのかもしれない。。。

虚構ぐらいは、生きる価値を見出してほしいという思いですら、私のエゴである。

長々と書いたが、これが私のTRUMPシリーズへの思いだった。

そして、ヴェラキッカ!!

開演前から、劇場に流れる音楽は軽快で裏ノリしたくなる楽しさに溢れていた。

ステージに立つ街灯に見覚えがある気がしたのは、気の所為なのか否か。

キャンディスが街を、歩く。

キャスパレは、どれなんだ?!と思うままに気付いたらどんどん進んでいた。

ヴェラキッカ家が中々カオスなお家柄であることだけを理解し、よく分からないが軽快なノリで、楽しそうなヴェラキッカ家の面々を観ている私の図が出来ていた。(しかし、めちゃくちゃ楽しい!この楽しさを楽しいと思っていいのか不安だったが、めちゃくちゃ楽しい🎶に溢れていた。)

気になっていたのは、ノラが衣装チェンジのみならず、ウィッグも変わっているように見えたことだ。明るい照明と暗い照明で替えているのかと思っていたが、どうやらやはり違うぞ!となる。(本当にこういう演出上手いな……)

そしてシオンだけ、何かが違うぞ……と思いつつ、色々考えた。もはや、考える方向がどういう展開だったら地獄絵図だろうかという発想であったあたり、私はもう駄目だと思った笑

まぁまぁ、色々あったのですけど、観劇直後はなんて多幸感に溢れた作品だったのだろうと思ったのだ!

言わず物がな、歌はうまいし、ノラのキレのあるダンスも最高だし、キャンディもかわいいし、ジョーはもう安定だし、、、✨

ショーを見ているようなワクワクもあり、、、

TRUMPシリーズなのに、私が幸せを感じている?!ということに驚いた。

しかし、一晩経って振り返るとむくむくむくと溢れるあれこれがある気がしてきた。

ここから先は、私が観た幻想だ。幻想なので、確証もない上に、今までの知識も浅いので明らかに見当違いな事を申しているかもしれないが、許して欲しい。ここから先は、私の観た幻想なのだ。(大事なことなので2度言う)

黒髪ロングの可愛らしいわりと明るい女の子(キャンディス・ベイカー(空耳??))が、旅行カバンを持って街灯の下を歩き目的地に向かう。この図が、何故かリリーを思い出す。好奇心のいだき方や、最後の語りがそう思わせたのかもしれない。(全く関係ないが、アカペラ歌唱やばくて(記憶違いだったらごめんなさい)すごいもの見た)

そして気になっている点は、ノラは、自我を持っているのかである。

ノラを知っているのは、シオンだ。見えない相手を観ているヴェラキッカ家の面々のノラの概念はシオンの中の創造ノラなのか、それとも共同幻想によって各々の愛の形を反映した各々の愛することができるノラなのだろうか。

共同幻想を終わりにしようと言い出したのは、誰なんだろう。

シオンは、それを願っていない様に思えていたからだ。

しかし、ジョーの発言が気になる。シオンの心を映しているのでは?と思う発言がいくつもあった気がした。兄弟故にシオンの心情がシンクロしやすいのだろうか?

そこを考えると、シオン自身も共同幻想を終わりにすることを意識し始めていたのかもしれない。

となると、最後、幻想の世界に連れ込まれたシオンは本心だったのだろうか????

キャンディに、特別対応をする……。ようにみえたノラ。そのノラを形作ったのが、シオンならばどうだろう。それとも、ノラに愛されたいと願うキャンディの共同幻想なのだろうか……。

ハッピーエンドだったのか分からなくなったのである。

本当に、シオンがヴェラキッカ家のイニシアチブの頂点なのか?から謎に疑い始め、私の思考はループを始め、虚構を見続けている気がしてきている。

そして、”愛”というものについて語れるほどのストックが私の中に見当たらないのであるが、愛とはなんだろうと思ってしまった。イニシアチブの力と本心の差はどこから生まれるのだろうか。

それは、見たことのない神を信仰する様なものと捉えるには、ノラとノラを愛する者たちは近い距離のようにも見えたが、熱心な教信者だと思えば、教祖の為に何でも出来るのだろうか。

自己と非自己の境界が曖昧な世界の中で生活した彼ら。

全ては虚像。

本物の時間を過ごすことは出来ていたのだろうか。

箱庭はさながら、LILIUMを彷彿させていき、愛について考えるときグランギニョルが過る。

箱庭で共に過ごすことが叶わず崩壊したLILIUMに何を思えば良いのか。家族の愛を上手くつなぐことが出来なかったグランギニョルは……。次の演目がLILIUM再演であり、放送されるものがグランギニョルと黑世界である事に私は、意図を感じてならない。

シルベチカ……。

そして、シオン……。

TRUMPもすべての生命体の記憶から消え失せれば死ぬことが出来るのだろうか。


ここからはさらに邪推だ。

キャンディスがキャンディになったと思うのですけど、ここの意図はなんですか。キャンディスが表すのは瓶に詰まったシロップ漬けの氷砂糖ですか……。聞き間違いかもしれない。(キャンディスだった気がするのは空耳??見直します)

ヴェラキッカ家がTRUMPで出てくるクランかな等と思ったが、TRUMPで出てくるクラン王様の城だったのかと思うと、違うのか……、なんかなんか、なんかありそうじゃないですか??となると、LILIUMのクランだったりするのか?(周りから隔離されたクランだった気がするし、血盟議会とかからの関与を受けない為にも物理的距離ありそうだし……、ヴェラキッカ家が統治を辞めたあと、ヴェラキッカ家の周りの街が森に覆われていてもいい気がして(邪推))(何かを、どうにかして繋げたくなる病)

ダリ家とヴェラキッカ家の繋がりも明示され、ダリの名前だけで喜ぶ私。そして、繭期の症状は遺伝するのです???笑

まとまりなくグダグダ書いたが、何が言いたいかというと、ヴェラキッカが大変楽しかった…。

初日の一回しか観ていない為、間違った情報が含まれていたら申し訳ない。

皆様の感想を読んで、また考えたいと思う。