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押し活の意義

中野信子さんの『脳の闇』(新潮新書)を要約したという記事

その中でも以下のような内容が、
わたしの押し活の意義、
ではないかと感じた。

不安感情は、本当は存在しないこの地獄を、脳の中に構築してしまう
生きることそのものが、消化試合のように感じられてしまう
不安のアンテナを、鈍らせるための。日々ささいなことに満足して幸せに生きていけることの大切さ。ただ、不安と戦わない、という方法もある。
目を逸らしておく、という戦略はとても有効なものだ。忘れるとか、勘違いするとか、幻想を抱く、ということができるのは、人間にとっての福音なのかもしれない。論理的に考えれば共有できるはずもない感覚を誰かと共有していると一瞬でも思えることがあったらそれが幸せというべきものだろう。存在論的な不安は根本的には死によって解消される。しかし、生きていることで感じられる、ちょっとした刹那の幸福の連鎖を味わい続けることが、もしかしたら、生きるということの意味なのかもしれない。

自分の不安、この先の人生は消化試合、
と感じることからくる生きていくこと
生き続けねばならないことの倦怠感
そこから目をそらすことができる愛する人との結婚
でもまたそれも長く続くと~幸せなのだけれど~だるい
で、押し、押しがいると、そのだるさが緩和される
消化試合が、短期目標の設定によって
~プラチナチケットをゲットするとか
サイン入りチェキに応募するとか
そういう単純かつ倍率の高い目標設定により活性化される
そして何より楽しい、なぜか楽しい
愉しいのが一番だと思う。
だってこれまでコツコツ生きてきたし
今も結構真面目に働いてる。押し活費の為に、ね。
そうです、いま働いてるのは押しの為です
身体がきつくてもストレス少しくらいあっても
押しの為なら働けます


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