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【創作大賞2024応募作品】101歳のスヱさん

 私の父方の祖母の名はスヱさんという。大正生まれで未だ健在だ。六人兄弟の末っ子、これで最後の子、という意味を込めてスエと名づけられたらしい。単純な由来だ。スエさんはお母さんが四十九才の時の子のため叔母(スヱさん)と姪(本家の娘)がほぼ同年齢となり親族関係が複雑に入り組んで孫の私は理解できないでいる。

 ある日、スヱさんがベッドから転げ落ちたので救急車を呼んだ。スヱさんは夜中ベッドからポータブルトイレに移動する際によろけてそばにあったプラスチックのカゴを顔面から破壊した。カゴは惨劇を物語るように鋭く粉々に壊れて、プラスチックの破片は辺りに散乱していた。スヱさんのおでこは内出血で紫色に変色していている。どうしたらよいのかわからず社協の間宮さんに連絡した。すぐ来てくれた。

「どうしたらいいですかね」と私。

「頭なので検査したほうがいいですね。内出血もしているし。救急車呼べますか?『火事ですか?救急ですか?』と聞かれるので『救急です』と答えてください。呼ぶとすぐ来るのでその前に準備しましょう」

と、間宮さんはてきばきと私に言った。

「普通に座っていると軽傷とみなして病院に連れて行かない場合がありますので、スヱさんはベッドで寝ているほうがいいですね」

スヱさんはバツが悪そうにご飯と梅干の質素な朝ご飯を食べている。

「おばあちゃん、ご飯食べたら着替えるよ!」

 私の妹が敬老の日にプレゼントした紫色のカーディガンとよそ行きのズボンでスヱさんの身支度を整えた。外出着を着て床に入っているという奇妙なシチュエーションについて疑問を持たれないか心配だか仕方がない。
 私は二階に行き119番に電話した。どきどきした。1callですぐに繋がり用件を伝えたらすぐに切れた。私は驚くくらい冷静に応答できた。どこか他人事のように思えたからだ。ほどなく救急車のサイレンの音が鳴り響き近づいてきた。私はコートを羽織って家の前に出た。手を挙げて救急車を敷地内に誘導する。停止するとともに救急車のサイレンの音が突如と途切れる。緊張の瞬間だ。ドアが開き防護服を着た救急隊員がわらわらと4人下りてきた。

「患者は何処ですか?」

「こちらです」

と玄関へと促す。救急隊員の防護服ががさがさいう。ナイロンの擦れる音が重なり合い家の空気が一変に緊張する。スヱさんは救急隊員で囲まれて何事だという風にこわばっている。

「転んだんですね。ぶつけたのはここですね?」

とリーダーのような隊員がスヱさんのおでこを指で指した。

「はい、そうです」

  私がスヱさんの代わりに答えると、後から入ってきた救急隊員はジェラルミンのバッグから血圧計やら何やら計測器を出してバイタルチェックを始めた。すぐに病院へは連れて行かないのだ。救急隊員は何かを話し合っている。

「頭を打っていますのでCTを取って頭の検査をしなくてはならないのでこのまま病院に連れていきます。救急車には一人付き添いが乗れますが誰が乗りますか?」

「母が乗ります。私は自分の車で後を追います」

  ベッドの四方を囲んでいた救急隊員たちはシーツごとスヱさんを持ち上げて担架に移動した。さすがに力のある男性陣が運ぶので見ていて安定感があり頼もしい。スヱさんはされるがままに任せてまるでお神輿状態だ。救急車に移動してからもいろいろな機器と接続するためなかなか出発しない。近所の人が三人ばかり救急車の横に集まっていた。野次馬だ。

「運ばれるのは誰だ?」と向かいのおばさん。

「おばあちゃんだ」と私。

「母さんやさっちゃんじゃなくていがったな」

 スヱさんならいいという、年齢の順番道理であれとご近所さんのクールな意見だ。
 仰々しく病院に運ばれたスヱさんだったが、病院でのCT検査の結果は異状なしのため帰宅の許可が下りた。神輿で乗り込んだスヱさんは靴を履いていなかった。病院のスリッパを借りたり返したりして三人で帰宅した。人騒がせな一日だった。

 一階のスヱさんの居住スペースには秋田杉の切った断面をそのまま盤としたテーブルが置いてある。三角形に近いそのテーブルは三点の猫足で支えられていてとても重く畳にめり込み跡がついている。三角形はスヱさんと母と私のトライアングルな関係、テーブルの重みはこの家におけるスヱさんの存在の重さをあらわしているようだ。テーブルはスヱさんの長男、私から見て伯父さんから贈られたものだ。長年使っているので茶碗を置いている部分のニスが剥がれている。スヱさんはそのテーブルの脇に置いた回転座椅子に座っている。そこから手の届くところに置いてある炊飯器で毎日米を一合炊きそれを一日で食べきる。まるで宮沢賢治だ。いつも見る光景なのでスヱさんの座っている後ろ姿は私の脳裏には一つの絵画のように刻まれている。

「さっちゃん、今日、ゆうび苑まで連れていってあんべ」

 ゆうび苑とは長期入所と通所のどちらも取り扱っているY地区で一番大きな介護老人保健施設だ。市役所のすぐ後ろにある。スヱさんはデイケアで通っている。

「何しに行くの?」

「明石さんに花を届けるった」

 数日前に年度始めで老人クラブからかわいい春の花の鉢植ポットとコロナ対策のマスクが配布されていた。花はレジ袋にはいったまま下駄箱の上に置きっぱなしになっていた。それをプレゼントするというのだ。スエさんは手に入ったものを人にあげる(贈る)のが好きだ。横流しいうのだろうか。物欲はなくあげた人の反応を見るのが好きなのだ。その人から自分に何かが返ってくるとさらに喜ぶ。田舎弁で言うと「やったりとったり」の人なのだ。

「ふ〜ん。ちょっとゆうび苑に聞いてみる」

 私は二階に戻って電話機に電話番号を押す。何度もかけているので電話番号は私のメモリに記録済だ。

「はい、ゆうび苑です。」

「あの、祖母が明石さんに花を贈りたいといっているのですが、コロナですけど大丈夫でしょうか?」

「差し入れ自体は問題ないのですが、施設の中には入れないのでドア越しの面会になります」

「それで構いません。後で伺わせていただきます」

「承知しました。お待ちしています」

受話器を置いた後、私はまたせわしなく階段を降りて一階に行く。

「おばあちゃん、ゆうび苑行ってもいいって」

「じゃあ、行ぐが」

「え〜、ちょっと待ってよ!」

「俺、今すぐの人なんだ」

「わがままだなあ。10分待って」

 その頃、私の仕事は在宅ワークで時間はかなり自由に使えた。近所の人には何をしているのか分からないプラプラしている人、と思われているらしい。勝手に思わせている。そんな干渉が田舎の煩わしく思えるところだ。それ以外の不便さの大半は車で補える。

 私の住んでいるK市Y地区は平成の大合併で「郡」から「市」に昇格したものの知名度はかなり低い。「あ〜、あのパチンコ屋あるところね」 と県民でさえも都市から都市へと移動する際の通りすがりの小さな集落という認識なのだ。ドライブがてらにトイレ休憩でコンビニに寄ってもらえたらまだいい方かも知れない。コンビニは二軒ある。Y地区の目印となっていた小さなパチンコ屋は廃業し今は更地になっている。さらに自宅周辺でも過疎化が進んでいる。数年前、最寄りの自動販売機が撤去された。売り上げより電気代が高かったのだろう、と静かに受け入れた。そして、一番近い自動販売機は農協にある二台となった。歩いて4,5分といったところか。やがてそれも撤去された時はショックだった。農協の金融業務がY地区から撤収することとなったのだ。年金生活者は置き去りにされたといっていい。隣の地区の支店に出向くか川向にあるATMを利用するしかなかった。ついで、地銀の支店も撤収しY地区に銀行が無くなった。内情的には地元の一企業のおかげでもっていたのだが採算が合わなくなり統合する運びとなった。年金生活者のための行員を配置する余裕は何処の金融機関にもないのだ。農協は自動販売機が撤去されて程なく建物の解体が始まった。今では跡形もなく売地となっている。スーパーでは自動精算機が導入された。じぇんこ(お金)の入出金関連は人間ではなく機械が対応する令和時代の波がY地区でも見られるようになった。

「おばあちゃん、今、車持ってくるから」

スエさんがあまり歩かなくても済むように車を玄関近くまで寄せたい。しかし、運転のバックが苦手な私は玄関ギリギリまでは寄せられない。過去に三度バックでぶつけている。

 スエさんの外出準備には時間がややかかる。服選びからから始まり、寝室から玄関までガッタン、ガッタンと三点杖をつきながらゆっくり移動する。杖の響きは異世界からの使者を連想させる。玄関に置いてある段差調整の台に腰を下ろしてから靴を履く。杖を室外用に取り替えてようやく外に出る。その間、約十分。

「花、わたし持つから」

 私は靴箱の上に置きっぱなしのレジ袋に入った花を車の助手席の足元に置いた。スエさんは三点杖を付き、体を左右に揺らしながら車のドア前にようやく到着した。助手席の後部座席がスエさんの定位置だ。ドアを開けて乗りやすいように招くとおしりからごろんと転がりシートに収まる。

「はー、車乗るのも一苦労だな。足痛でーな。足売ってれば、なんぼ高くても買うけれどなあ」

とスエさんがつぶやく。若い頃、痛む右膝を手術するかどうか悩んだが仕事を選んで施術しなかったとのことだ。スエさんは弱音や愚痴は一切口にしない人だ。そんな人が幾たびも言うのだからよほど後悔しているのだろう。

「じゃあ、出発するよ」

 私はサイドブレーキを解除してゆっくりアクセルを踏む。車は敷地内の砂利を踏みゆっくりと前進する。ゆうび苑までは車で5分の距離だ。信号を一つ渡ればすぐに着く。ゆうび苑の玄関前でスヱさんは降りるのも一苦労だ。車で走っている時間より乗り降りする時間のほうが長い。片足を地面に置いてからそれを頼りにアームストロングの月面着陸のように慎重に着地する。
 私はスヱさんをゆうび苑の玄関に降ろしてから車に停めた。スヱさんは車を降りた地点から一歩も動かず頼りなさげにつっ立ったままだ。杖を持つ両手がぷるぷると震えている。私はお花を手に取り玄関まで小走りで向かう。

「おばあちゃん、マスクしてね」

「すみませ~ん。明石さんに面会したいんですけれど」

私は事務所の小窓に向かって言う。

「はい。少しお待ちください」

事務所の人たちの視線を一身に受ける。皆見ている。

「面会は自動ドア越しになりますので、外でお待ちください」

 スヱさんは三点杖を両手に体重をかけて手をぶるぶるいわせたまま立っている。私はその横でレジ袋に入った花を持っている。

「スヱさん椅子をどうぞ」

と職員の方が椅子を差し出してくれた。ぶるぶるからがようやく解放れた。しばらくすると車いすに乗せられた小さなおばあさんが来た。明石さんだ。私は面識がないので状況から推測するのみだ。玄関ホールのガラスの自動ドアの電源は切られていた。私はお花を持つ反対の手で重いドアをずずずーと開けて

「これ、おばあちゃんからです」

と明石さんに手渡した。手渡したというより膝に乗せたといったほうがいい。

「元気だか?」とスヱさん。

「んだな」と明石さん。

 それ以上の会話はなく、透明なドア越しにソーシャルディスタンスを取りながら向かい合いスヱさんと明石さんはただ互いを見つめあっていた。なんともいえない奇妙な間だった。お互い話題があるわけではない。ガラスの扉で隔てられたスヱさんと明石さん、職員さんと私を線でつなぐ四角形は教科書に載っている何かの星座みたいだな、と私はその光景を眺めながらぼんやりと考えていた。二、三分誰も声を発することなく沈黙が続いた。

「じゃあ、そろそろ戻りますか。スヱさん、ありがとうね」

 程なく職員さんが静かな面会の終わりを告げた。明石さんは車いすを押されて自室に戻っていった。スヱさんも椅子から立ち上がり、車待ちの姿勢になり手をぶるぶるいわせている。先ほどと同じ工程を繰り返して自宅に戻った。スヱさんの頼み事はいつもやっかいなので要求をこなすとホッとする。

天気の良いある日の午後、スヱさんに

「明石さんにあげた花っこ見にいぐが」

と言ってみた。ゆうび苑に行く口実にちょうど良いと思ったからだ。

一緒に行ってみると担当職員さんが

「明石さん、今入院しているんです」

との返答だった。そうか、高齢者だからそういうことがあるのだ。
数週間が経ち、スヱさんがデイケアから帰ってくると、

「明石さん、居なかった」

とつぶやいた。亡くなったそうだ。

 玄関ホールでの面会が今生の別れになった。一目会えただけでも心に区切がついてよかった。もしかしたらスヱさんは予感していたのかもしれない。このあいだまで普通に存在していた人が今日いなくなる。高齢者だけではなく若い人だってその可能性はあるが心構えが全く異なる。覚悟して日々を過ごす、もし明日死んでも悔いが残らないような完全燃焼な毎日を過ごせるのなら人生の充実度が大きく変わるだろう。時間を納得して過ごしたいものだ。

  いつも元気なスヱさんだが足のむくみがひどくなり入院をすることになった。腎臓機能が低下していた。
入院手続きをしていると何処で聞きつけたのか

「100歳の人が入院したんだって?顔見にいぐが(行くか)」

と、廊下で話している人がいる。100歳超えたスヱさんは時に見世物となる。往々にして人々の好奇な目にさらされるのだ。大人だけではない、小学生でさえ「何歳?何歳?」と躊躇なく聞いてくる。How Old Are You? 海外では御法度の質問だが日本の田舎で咎める人はいない。そんなときスヱさんは5,6歳年齢をサバ読んで答えていた。「元気だな~」と言われるのが嫌なのだ。この「元気だなぁ」という言葉の裏には「そんなに元気で呆れるなあ」みたいな皮肉が含まれている。長生きも手放しで喜ばれるものではない。

 総合病院はコロナ過のため面会は謝絶だ。そのため、バタバタと入院の荷物をまとめてスヱさんを送り出すと母と私の生活からスヱさんがすとんと消えた。入院さえしてしまえばあとは病院に任せきりでいいのだ。何か拍子抜けした。肩の荷が下りた気がした。一か月後にスヱさんのむくみは落ち着き退院する運びとなった。栄養価の高い病院食を一か月食べ続けて若干ふっくらしたスヱさんに入院の感想を聞いてみた。

「おばあちゃん、ずっと何考えてた?」

「天井見てた」

 なるほど、ベッドに入っていると視線の先は天井にある。私は上を向いてその天井を見上げた。真っ白でシミひとつなく清潔でいかにもありがちな病院の天井だった。スヱさんのことだからその天井を凝視してずっと家族・親族のことを案じていたのだろう。

  入院中は日課の散歩もできずにすっかり足腰の弱ったスヱさんはトイレへの歩行でさえ困難になっていた。あいにく我が家は段差が多いため生活に支障が出始めた。スヱさんは人の手を借りなくてはトイレやベッドへの移動はできず私の負担が大きくなっていった。私も健常者ではないのでいつ介護される側になるかわからない。負担を軽減するために社協の間宮さんが見かねてスヱさんの施設への入所を検討する運びとなった。検査の際には市と県の職員がきて介護度の認定に来た。介護度認定は税金の支出に直結するためか厳粛な雰囲気が漂った。一方で、県の担当者はスヱさんのことをとても101歳には見えないと驚いていた。テスト項目は口頭質問と、部屋の端から端まで歩くことだった。三点杖をついてギッタンバッコンと異世界の使者の訪れを思わせる音を響かせてスヱさんは歩いた。認定検査は30分程で終わった。施設の入所可否とともに利用額が決定するので結果がでるまではとても気がかりだった。 
 結果は要介護2でゆうび苑への入所が決まった。第一希望の施設だったので安心した。ここにスヱさんの運の強さを見た。
 
 
  ある時私が一階に行くとスヱさんがポータブルトイレに座り放尿していた。尿は勢い良くジャーとポータブルトイレ内部のプラスチックボウルの壁に打ちつけられていた。しばらくすると、その勢いが衰えることなくピタッと止まった。まるで蛇口の栓を止めるみたいに。再開の音はない。

「おばあちゃん、おしっこ終わったの?」

「うん」

「へ~,ちょろちょろとか無いんだ」

  締まりのある膀胱を持つ101歳のスヱさん。ベッドからポータブルに映る際にはどうでしても我慢できずしずくが数滴畳に滴る。畑でぽっくりと死にたいと話していたがそれは叶えられそうにない。長命で家族のことを見守ることが定めのスヱさん。そう遠くない最期は苦しみなくおしっこのようにピタッと停止するといい。

 私が不在の間に、スヱさんがベッドから落ちて戻れなくなった。母の力ではスヱさんを持ち上げることが出来ずにいた。スヱさんはベッドの隅にうなだれたようにうずくまったままどうしようもなかった。電話をもらって30分後に帰った私がスヱさんの両脇に手を入れてえいっと持ち上げたら簡単にスヱさんはベッドに移動できた。スヱさんと母の両方に悪いことをしたと外出を後悔した。もう、在宅介護は限界に近づいていた。

 季節は春だ。数年前私は、容赦なく全力で成長する新緑の生命力に圧倒され草木を直視することが出来なかった。よくわからないけれど自然の力に負けている気がしたのだ。生きることに疲弊していた。年月が経過してようやく芽吹く息吹を素直に喜べるようになった。大抵の問題は歳月が解決して癒してくれることを知った。

 二回目の慣らし宿泊を終えてスヱさんが帰宅した。母が作った夕ご飯をスヱさんは床について横向けのままで食べた。誤嚥する危険性があるがスヱさんはくちゃくちゃと租借し器用に飲み込んでいる。感心して一言、

「よく食べれるな」

というと、

「100歳だから出来るった」

相変わらずの勝ち気は健在だ。
 
 施設入所にあたり健康診断書を提出しなくてはならないので診療所に来た。待合スペースで駅前のSさんと一緒になった。母とは時々電話で近況を話し合う仲の人だ。スヱさんを見て、若い、と驚く。スヱさんが実年齢より若いと言われる理由は目力にある、と私は考える。目に生きる力が宿っている、体重測定は難なくクリア。ほかは危なっかしい場面もあったがなんとか全項目の検診を終えた。後日結果が出る。入所する施設には医師が常駐しているため診療所にくる必要は無くなる。診療所は卒業だ。最高齢者の患者ということで看護婦さん達にはとても気遣ってもらった。

「もう診療所には来ることはね(無)ったよ」

「んだぁ」

スヱさんは頓着していない様子だ。別れには慣れているのだ。

 帰宅すると衣類を脱いで床についで休んだ。眠ってばかりいるので朝の五時なのか夜の五時なのか区別がつかないらしい。しかし夕飯はしっかり食べる。目の前に出されれば食べる。これは条件反射かもしれない。夕飯は大好きな白魚だった。半透明で目が黒光りしている白魚をむしゃむしゃと食べる姿は小さなけものが餌にありついてる様を思わせる。むしゃむしゃ、ものをおいしく食べられるうちはまだまだお迎えが来ないだろう。人はそう簡単には終わらない。

 入所日、10時に迎えがくる。着替え一式は前もって準備して段ボールにまとめてある。スヱさんはいつもの座椅子に座ってじっとその時を待っている。しばらくするとタイヤが砂利を踏む音を立てて迫ってきた。ゆうび苑のワゴン車がバックして玄関に迫ってきた。停止すると後部車椅子スペースのドアが開けられて職員さんは車いすをおろした。家に持ち込まれた車椅子にスヱさんは座りひょいと持ち上げられて外に出た。ワゴン車のエレベータで車椅子ごとスヱさんは上昇し定位置に収まった。人間だけれど車に厳重に載せられた荷物か何かのように見えた。スヱさん本体と着替え段ボール一つでスヱさんは家から出て行った。1か月という長期の慣らし宿泊だ。嫁入りみたいだな、とぼそっとつぶやいていった。

  スヱさんの面倒を見られなくて申し訳ないという気持ちと、精一杯やってもう限界点を超えたのでやむを得ない、たとえ、何度同じことを繰り返しても結論は一緒だろう。介護専門の施設に預けて責任を託してお金で安心を買う。施設利用料はスヱさん自身の年金で賄える予定だ。最後まで自分の面倒を自分で見ているスヱさんはすごい。若い時の頑張りが今を支えているのだ。勤勉・質素倹約はいつかどこかで日の目をみるのだ。保険証や病院の診察券など生活の核となっているこまごまとした品を全て渡してきたことで、私たちの手から完全にスヱさんが離れた気がした。

 入所から一か月経った。面会してきた。

「家に帰りたいって言うんですよ~。前だったら自宅でお昼ご飯を食べてまた戻る、ということが出来たんですが、今はコロナだからそれも出来なくで」

担当の茶色い髪の職員さんが言う。しばらくすると車椅子のスヱさんが運ばれてきた。

「おばあちゃん、元気だが?」

「あい、さっちゃんだが?マスク取れじゃ」

 面会は窓越しでほかの人とは遮断されていた。素直に従いマスクを取った。私だと顔認識出来たのかスヱさんの表情はゆっくりと柔らいでいった。私に会えて嬉しそうだった。私もまんざらでもない。

「よぐ来たな」

 自分で呼んだくせによく言うよ、と思ったが黙っていた。一か月ぶりに見るスヱさんは家にいたころをなんら変わるところなく目には力があり肌つやも良かった。

「元気そうじゃん」

「差し入れ持ってきたって一日2個食べれ。来週また持ってくるよ」

 3個一パックの牛さんヨーグルトがスヱさんのお気に入りだった。素朴で安価な商品だ。

すると、おもむろに履いている靴を手に持って見せた。

「いま、こういうズックはいている人いないんだ。靴屋でいい(良い)の買ってきてけれ」

「どういうズックよ?」

ズックとは靴のことだがどういうものを望んでいるのか分からなかった。会話を聞いていた職員さんが

「みんな履いているみたいなやつ?じゃあ介護シューズだ」

おもむろにカタログをスヱさんに見せてくれた。

「こちら買うこともできます。専門の人が来て足のサイズを測ってくれるので」

助かる。

「じゃあ、お願いしていいですか?立て替えてもらって」

「おばあちゃん、足測ってくれるって。こっちじゃ足のサイズ分からないもんな」

「足?九文半だ」

「キュウモンハン?」

一瞬の間があった。若い職員さん達には理解できなかったようだ。

「昔の尺度です」

皆どっと笑った。さすが大正生まれは寸法の尺度が違う!若い人は猪木の十六文キックなんかも知らないのかもしれない。

 窓越しの対面で周囲に職員さんたちがいる状況ではうかつなことも話せず、スヱさんも大して話題があるわけではないので会話はすぐ尽きる。すると膝の上に置いてあった手ぬぐいタオルを差し出した。

「これ、やる。一等賞取ってもらった」

 職員さんがスヱさんから受け取って私に渡してくれた。かわいいハリネズミが描かれた新品のタオルだった。施設では入居者の生活にハリを与えるために定期的にイベントが行われ、タオルなどの実用的な景品を提供する。施設ですぐに使えるようにタオルにはしっかりとスヱさんのフルネームが書かれていた。

「おばあちゃん使えばいいしゃ」

「今使ってるのあるもの、やる」

と頑なによこすのでもらってきた。スヱと名前入りだが大人しく受け取った。やったりとったりのすきなスヱさんは施設にいてもスヱさん節は健在だ。

ゆうび苑に入所してから三年経ちさすがにスヱさんもいささかボケてきた。

「自分のパジャマじゃないものがあるまんつ見に来てけれ!」

とすごい剣幕で電話してきたので数日後にアポとって出向いたらそんなことはすっかり頭から抜け落ちていて来てけだ~、ありがどと喜んでいた。拒絶したパジャマを今回持ってきたことにして渡してください、と職員さんに言われてパジャマを持ってきたよ、と言うといがったいがった、とありがたそうに受け取った。

「ちょっと(パジャマが)厚くねが?汗かぐんだよ、着替えてしてな、みがん?ありがとう、でも四人部屋だからみんなでわげっこするがら一人でたべられねえがらあんまり持ってこなくていいよ。なんぼでも食べれるばってな。お金使うな。体どこもい(痛)でぐねし、もの食べればおいしいしながながい(逝)がねびょん。申し訳ねえな。面倒みでけれ」

スヱさんはいつでも家族のことを考えている。

 

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