介護実習!?の前に。

2018年12月27日、91歳になる育ての親、祖母の認知症が進んだと母から連絡が来た。私の祖母(以下おばあちゃん)は、91歳になるまで、カラダは骨と皮にだけど、頭は比較的しっかりしていて、昭和初期生まれ、戦争の時代を持ち前の強運と天真爛漫さ(?)で生き抜き、戦後の時代に、仕事と家庭の掛け持ち生活をして、自分に厳しく、孫にはもっと厳し人だった。

おばあちゃんの若い頃は意外に美人でびっくりしたが、夫であった私の祖父や同居していた私の曽祖父母との過激なエピソードを幼い頃聞かされた時の私の感想は、「だったら離婚すればよかったのに」だった。。。

今思い返すと、おばあちゃんは三姉妹の次女に生まれ、ちょっと私に似て思い込みが激しく、そこそこ頭が回転するので、人一倍素直で、真面目だけど、ちょっと周りとは違ったセンスの持ち主なので、普通では起こりえない勘違いをしたり、悩んだり、人間関係で苦労したり、現代とは全く異なる男尊女卑の社会で働き暮らしていたので、いろいろ大変だったのかもと想像している。

ボケる前に私がおばあちゃんとあった最後の夏、2018年の夏休みには、息子である父と口喧嘩をしていて、家庭内がギスギスしていた。さらに、30を過ぎても結婚していない私の弟にかけた最大のパワーワードは、このまま(弟が結婚しないまま)だと、お家断絶だ!ったとのこと。。。

思い返すだけで、心が傷つく。
今までおったかすり傷は数知れない。

おばあちゃんが60代の時仲の良かった近所の50代の女性が突然なくなり、おばあちゃんはとてもショックを受けていた。また、年々仲の良い、ここらから分かり合える友人が1人ずつ会えない状態になっていくのは、とても悲しいことだ。

そして、いつの間にか、デイサービスにも行きたがらない、若干引きこもりがちになり、より性格の濃い部分が濃縮されたおばあちゃんの最終形態が出来上がった気がする。

とういう数々のエピソードを私に聞かせ、見せつけてくれた、また私が産まれてから18年間を一つ屋根の下で一緒に暮らし、共働きで超激務な両親がほぼほぼATM状態でも、私と弟がグレずに今まで社会の中でそこそこ生きていける礎を作ってくれた祖母がボケたので、帰省した初日、2日目の12/30、31はそれが受け入れられず、とにかく泣いていた。多分、歴代の祖父母のお葬式と同じくらい、おばあちゃんがまだ生きているのに、私は泣いていた笑

着替えやトイレ、食事など両親の介護のサポートや助手として参戦したが、この工程の半分以上の時間をおばあちゃんを見て泣いていた。5歳の娘にも私がおばあちゃんにかかりっきりになってるので、ヤキモチを妬かれたり、一緒にお風呂に入っている時にすごい語彙力で励まされたりと、私は完全に18歳くらいの気持ちで、おばあちゃんの孫に戻っていた。


とほほ。

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