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下手でもいいから、今の言葉を残してほしい

「私なんかが、こんなこと投稿していいんでしょうか」「文章、下手だし」「なんか、偉そうじゃないですか?」とか言われる度に、下手だろうと偉そうだろうと、他の人がいくら同じことを言っていようと、100%投稿していいと言い切れる強い理由が、私にはあります。

ひとつは、今の言葉は今しか残せないから。どんな気持ちも、空模様のように変わっていってしまうから。

もうひとつは、そうやって必要な言葉を残さないままいなくなった人がいたから。

セミナー講師をしていたその人が残した言葉を探そうとすると、外国語に翻訳もされたデビュー作を含めて本が3冊、あとは運がよければDVDが見つかるかもしれない。SNSの投稿はほとんどが、沖縄の海が綺麗だとか、の、はずだけど、追悼アカウントになったその人のフィードに、たくさんの仲間や主宰していた塾の生徒が別れを惜しんで書いた投稿が並びすぎて、生前にその人が書いた投稿を見つけることがなかなかできない。それ程にたくさんの人に愛されていたのは、その人の存在が、その人の言葉が、それだけの勇気や元気や優しさ、人生を変えるほどの気づきをくれたからなのに、その言葉そのものが、あまり残っていない。

「先生、なんでいつも塾で教えてくれてるようなこと、投稿しないんですか?」遊んでいる様子とかしか投稿しないその人に、聞いたことがある。「俺、そんな偉そうなこと、よう言わんわ」「えー、でもちゃんと、書いておいてくれたらいいのに」今、思えば、もっと強くお願いすればよかった。どんなことでも書いておいてほしかった。出ている本の内容は確かに先生の言葉だけれど、本当の本当にこの世に残したかった言葉はもっと別にあったはず、と私は思ってる。きっと、もっとうまくなってから残そうと思っていた言葉があったはず、と私は思ってる。

「本当は、小説家になりたい」って言っていた先生には、誰よりも文章を読む力があった。あの作家のあの一文がええねん、と言って、さらさらと何も見ないで諳んじる。同じ文章を読んでも何とも思わない人もいるだろうに、先生は、書かれた言葉から、風景の色や音やにおい、空気の重さ、登場人物表情やその裏に隠れた想いを読み取ることができたし、それを描ける作家さんの腕の凄さを誰よりもわかったから、同じようには自分には書けないと思って、文章を書くのは苦手だってずっと言ってた。

同じようになんか、書かなくてもよかったのにな。なんでもいいから、先生が何を感じていたのか、どういう気持ちで日々を過ごしていたのか、どんな想いが先生を支えてきたのかを残しておいてほしかった。偉そうなことでもなんでもいいから、残しておいてほしかった。先生の言葉をもっともっと読みたかった。

もう、先生がいなくなって5年が経って、確か来年は私も、先生が亡くなった年齢になる。文章を書く仕事がしたくてしたくて、おかげさまで仕事の中でも書く割合が増えていって。それでも全然うまくはなれなくて、自分ができていないことに気づいて落ちこんでばかりだし、後から自分の書いた文章が恥ずかしくなって情けなくなって動揺したりもするけれど、それでも書くのをやめないのは、いつか先生が私に残していってくれたものを言葉という形に残したいからでもある。そのときに、先生が言葉と一緒に渡してくれたものを少しでも多く文章に乗せたいからでもある。

あの声の優しさとか、軽い調子の裏にあった、積み重ねたものの多さ。深さ。私にとって「上手い」っていうのは、わかりやすいとかかっこいいとかじゃなくて、言葉以外に言葉と一緒に渡されたものをどう言葉にして乗せられるか、というところに尽きる。言葉以外の空気を、音を、色を、軽さを、深さを、どう言葉に乗せるか。それが納得いく形でできるようになったら、私は自分を上手くなったなと褒めることができるんじゃないかって思う。

多分、先生は私にそんなこと1ミリも期待なんかしていなくて「好きに生ききろよ、書きたいように書けよ」って多分、言うと思うけど。でも、おかげさまで、どれだけ自分が下手だってわかっても、上手い人との差があまりにもあることがわかっても。絶対に、やめることはしないって思えてる。だからこそ、誰かに「私なんかが書いていいんでしょうか」って言われたら、120%書かなきゃダメだって言える。

先生の言葉を私が書いても、残念ながら私っぽさがどこかには残ってしまう。あのときの先生が書いたら・・・と、これからがんばってどこまで寄せられるかわからないけれど。

文章にも、上手いとか下手だとかわかりやすいとかわかりにくいとかは、ある。あるけれど、だからって上手くないから書けない、書いちゃいけないってことはないんです。今、書く言葉は、今しか書けない。あなたの言葉は、あなたにしか書けないんです。

偉そうにとか言ってくる人がいたら、「そうですか、じゃあ、あなたが素直に受け取れる人からの言葉を受け取ってください」でいいんです。これだけたくさんの人が自分の言葉で語る権利と仕組みがあるんだから、嫌いな人に関わる必要なんか、これっぽっちもない。誰の言葉を受け取るのも自由。受け取らないのも自由。文句を言って一生を終えるのも自由。好きな人と関わる時間を選ぶのも自由。

この世に先生より凄い人なんか、正直、ごまんといた。先生より偉い人もいくらでもいた。でも、先生のふとした言葉に救われた。何度も。

いつでも凄い人の言葉だけに価値があるわけじゃない。いつ、どこで、どんなひと言がどれほどの意味を持つのかは、わからない。だからこそ、本当に大切な言葉を受け取れたときの価値は計り知れない。

そんな瞬間が人生で何度あるかわからないけれど、そういう瞬間に出会いたいから、これからも書くし、書くのを躊躇う人には言い続ける。

下手でもいいから、今のあなたの言葉を、書いてください。




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