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事実と主観を分ける

「マネジャーとして大事にしていることはなんですか?」

と聞かれることが増えた。残念ながらわたしはマネジャーとしてはだいぶ不出来で、現在進行系で試行錯誤している。立派なことは言えないけど現在進行形だからこそできる言語化もあるかもしれないと思い、noteでひとつひとつ言語化していけたらなと思いたった。これから、「 #さっちんマネジャーメモ 」のハッシュタグでまとめていけたらなと思う。

そのうちのひとつの姿勢として「事実と主観を分ける」があるかもしれないと思った。


事実と主観を分ける

さまざまな報告や相談を受け取るときに、本人のなかで事実と主観がごっちゃになっていることが多い。なので、「なるほど。ところでもっかい、何が起きたのか教えてほしいな」と確認して、事実を教えてもらう。ファクトベースで様々な事実関係を知る。「それで、この事実から、あなたはこう思ってるんだね」と整理すると、「そうか」と落ち着いたり、「こうとも言えますかね」と他の視点を自ら見つけ出してくれる。少し混乱が落ち着く。その事実に基づいて何ができるのかをお互いに見出して、最善案を出していく。

この習慣ができてよかったなと思ったのは、マネジャーとして遭遇する様々なトラブル時である。なにかのトラブルが起きた時に、事実のみの情報収集に集中することができる。緊急事態が起きた時、人は様々な解釈(主観)が頭の中を渦巻いてしまい、落ち着いて対処することができなくなる。

「取引先が怒っている」のではなく、「取引先はこの不備に対してこのように言っている」という事実を整える。では「この不備」とはなにか。どういう経緯でその不備は起きたのか。どういった環境がそうさせたのか。それによって具体的に何が起きているのか。その事実が全て収集できたら、あとはできることをすべて箇条書きにして洗い出し、その一つ一つに粛々と対応するしかない。起きたことは変えられない。トラブルが起きたというその事実を冷静に受け止めて、やれることをやるしかない。

それを可能とするのは、「主観」を挟まないからだ。

主観でしか考えられない人もいる

なお、事実だけを抽出するのはとても難しくて、人によってはその人の特性によって事実と主観分けができない人もいる。まず主観(解釈)だけが頭のなかを先行して、様々な事実から様々な憶測を飛ばしたり裏の裏を考えてしまったりする。いわゆる、「気にしやすいたち」と呼ばれるもの。

例えばある日、友人が眼の前で「あーだるー」って言っているのを見て、
「元気ないな(解釈)」
「疲れてるな(解釈)」
「わたしの話つまんないのかな(憶測)」
「昨日あんなふうに言われたのが嫌だったのかな(憶測)」
「話しかけないほうがいいかな(憶測)」
とひたすら解釈と憶測をし続けて、その人と別れたあとも自分の解釈と憶測に基づいて「こう言えばよかったかも」「なんであんなこと言っちゃったんだろう」と後悔してずっと頭に残ってしまう。(事実は、"友人が「あーだるー」と言っていた" のみなので、それだけに基づけばいい)

それはもうその人の思考回路の特徴なのでしょうがないし、そういう人に出会うと人間らしくていいなと思う。そんな人がいるから社会が動いてゆくのだ。だから可能ならそういう自分の思考のあり方を愛してゆけたらいい。ただ、本人がそれでしんどくなりすぎてしまうときもある。その時は「あ、これはわたしの一方的な解釈だな」って思えるように少しずつ少しずつ刷り込んでいけるといいかもしれない。

余談

なお、暮らしなどを共にしているパートナーに「それはきみの解釈でしょ?事実は?」「個人的主観なの?ファクトベースなの?」と突然やっちゃうと間柄がこじれやすくなる危険があるとわたしは感じてます(主観です。笑)なので事実と解釈分けは、おだやかな聞き方をこころがけることを個人的におすすめいたします。

(よく考えたらこれマネジャーだけじゃなくていろんな人がいろんな場面で使えるかもしれないですね)

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