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#16 18時に2歳児と散歩した話。幸せ方面の「まぁ、いいか」を採用する。 〜拝啓1年前のわたしへ

今日は1年前のわたしへ

このシリーズは、わたしが過去の自分に対して、手紙を書くように、自分の気づきや大切にしたいことをしたためていく、100日note投稿チャレンジです

1年前はだいぶビジネス的に変化があるものの、「家族がいるから幸せ」な感じが実はあんまり感じられていなかったかもしれない。いつも娘たちを送迎したあとにすれ違う、お洒落なご家族で娘ちゃんたちが楽しそうに走りながら、ご夫婦が笑いながら会話している姿が、「幸せそうな家族」に見えて、うらやましく思っていた。

これは、関係性がいいとか、相性がいいとか、イベントが多いとかそういうことでそうなっているように思っていた。

今、ほとんど状況は変わらないかもしれない。
けれど、娘たちがスーパー可愛い!!とにかく可愛い!!と思うのだ。
周りから幸せそうな家族に見えるかは知らないけれど、ああ、幸せな家族的な時間もあるもんだなと思う感覚がある。もちろん、それだけってわけではないからめちゃくちゃシンプルとはいかないんだけどね。

この感覚の変化については、以前も書いたけれど、わたしの心持ちが大きく影響していると感じてる。

1年前。結構わたしは次女みみに手を焼いていた。夜はしっかり寝るし、とてもいい子。だけれど、イヤイヤ期だったり、主張が強く、手を焼いていた。これはまた別に笑い話として書きたいけれど、子供二人を乗せている自転車で登園中に、前に座っているみみが怒っていて、自分の靴を脱いで車道に向かって投げたことがある。発狂するほど怒ったが、この時期はかなり手を焼いていた。

一方で今日の夕方の時間が対比すると面白かった。

今朝から長女キョキョと次女みみを連れて近くのスーパーへ。みみは近くのスーパーは嫌だったようで、かなり泣き抵抗しながらもいろんなきっかけでなだめながら午前中を終えた。確かに最近、スーパーとは別の遠くのどこかを指差してあっちに行きたい!と主張していることが多かった。
なので、キョキョとパパを合流させたら、午後はみみと散歩できたらいいなと思っていた。とはいえ、昼寝をしたいわたし。なんとか一緒に遅い昼寝にこぎつけて、みみが起き出したのは17時。もう暗くなっていたのだけれど、「みみ、お外行きたいの?行きたいって言ってたところにお散歩行く?」と聞くと行きたいというので、一緒に外出。遠そうだったのでベビーカーを出したけれど拒否され、徒歩で歩き始めた。

どこに行くのかなと思いつつ、みみがどこに行きたいのかには興味もあった。(本当に見当がつかない。)もう日が暮れた中、2歳児と散歩する母。けっこう不思議そうにみられながらも、どこ?あっち?と、20分歩き続けると駅だった。駅なの?「うん」と。駅のエレベータに乗っている中で「みみは駅に来たかったってことだったの?」「うん」「そうなの」と。
そんな風に話していたら一緒にエレベーターに乗っていた方が「いいわねぇ!」と。「もう大きいんですか?」と聞いたら「孫が24よ!」「いつも急いで!って怒ってばかり言ってたから〜(いいわねぇ)」と言いながら去っていかれた。

たしかにそうなんだよねと心で思った。
わたしも「早く!間に合わないよ!!」が常の生活をしていたりもする。

ただ、夕方付き合ってみたら、駅に来たいだけだった。駅のいつもみない場所から電車をみたら満足そうにしているみみと、わたし自身も初めて見る景色に、ああ、おもしろいもんだなと思っていた。

別に、忙しさは変わらないかもしれない。
(去年と比べたら今の方がよっぽどタイトに活動している)

だけど、
18時までにご飯を食べなくちゃいけない…わけじゃないかもしれない。
ご飯を毎日作らなきゃいけない…わけじゃないかもしれない
日が暮れた時間に出歩いてはいけない…わけじゃないかもしれない

と、「○○しなくちゃ」を捨ててみると、満足げなみみと、満足げなみみに付き合えた自分にご機嫌を感じる自分とで、ちょっと幸せな時間を過ごすことができた気がした。

けっきょく、パパに連絡を取ったら、近くでキョキョとショッピングしていたので合流して、惣菜をかって帰った。ので、今いつもより遅い時間のnoteになっている。

ま、いっか。

ま、いっか。

娘たちがよく口にする言葉だ。

もちろん、わたしが常に使っている言葉が彼女たちにはうつっていく。
わたしは相当毎日言うようになった。

ま、いっか。

不幸になる「ま、いっか」は使わない方がいいかもしれないけれど。
幸せになる、「ま、いっか」は、ま、採用してもいいと思うんよねぇ。

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