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#40 わたしは裸の王様。だったら裸を隠してるの恥ずかしいやんね。 〜拝啓3年前のわたしへ

今日は3年前のわたしへ

このシリーズは、わたしが過去の自分に対して、手紙を書くように、自分の気づきや大切にしたいことをしたためていく、100日note投稿チャレンジです

邪魔なプライドを外すには?

今、昨日も書いたように、ちょっとピンチが起きやすい状況にある中で、

だからこそ、これからに向けて必要な向き合いや壁を越えることが大事だよとアドバイスをもらって・・・

とはいえ、「難しいやぁ〜〜ん!!!」と思っているなうなわけです。

向き合うのが難しい課題って、何がどう、難しいんだろうね。どう超えていけるもんだろうね。

ということで、今日はちょっと過去の成功例をうまく活用してみたい。

例えば、3年前の自分は、自分の仕事を取られてしまうことに恐れがあった。なので、誰かに仕事を依頼することにハードルがあったり、一緒に働く人に内容を奪われてはいけないから、自分なりに自分にしかできない形に加工してみたり、必死に守るようにしていた。

人に自分の仕事を取られないようにしたい。この問題について、結果的には今、人に仕事を依頼することができるようになっている。

どうやってクリアしたかを考えたい。

この問題については、自分に他の部分で価値があると思えていることでクリアされた気がする。
そうか、「仕事で出しているパフォーマンス=自分」みたいに、自分と仕事自体が紐付きすぎて、相手に依存させるくらいやらなければいけない気持ちすらあった。
今は、過去に執着していた部分に、自分の価値があるわけではない、という認識を持てている。

それは、仲間やクライアントから違う部分を魅力だとフィードバックしてもらっていたり、わたしの性質や個性、偏っているところも含めて受け入れてもらっている実感によって、そう思えるようになったと思う。

そのためには何をしただろうか・・・

うーん・・・逆に・・・「出すこと」をした気がする

「嫌われそうだから思っているけれど言わない」
「なるべくそのままを動画で出す」
「歌うのが好きだなんて誰にも特にならないから隠す…ではなくて、私が歌いたいんだから歌っちゃおう」
「人からしたらいらないこだわりだろうけど、やってみるか」
そうやって「出す」ことによって、あれ?過去のこのこだわりはいらなかったんだ。ここは必要ない固定観念だったんだな・・・と気づいていって、手放すところは手放してみる。(とは言っても心配や怖さはあるんだけどね)という行動をしていくことによって、当たり前が変わったんだと思う。


ということは、今の自分の問題に照らし合わせてみるとどうだろう?

多くは、わたしが、勝手に「頼ってはいけないだろう」と線引きしていたり、「できる人と思われなければいけない」ととらわれが残っている部分が引っかかっている気がしてきた。

だとすると、「わたしはこうしたいんだ!」を出すこと。「わたしはこういう人間なのです、はい」を見せていくこと。

だな。

いうのは簡単だけれど、ちょっと難しいんよね、これ。
でも、出さないでできるわけじゃないのよ。
守っているところほど、相手にはすでに見透かされているしね。

「裸の王様です。はい?裸ですって?そうなんです!裸なんですよ!!」
これくらいの勢いでいきたいものだ。(なんやそれ)

まあ、裸の王様だと薄々気づきながら、「裸?なわけないじゃないですかぁ」って隠すのめっちゃ恥ずかしいもんな。うん、認めていこう。

3年前のわたしへ。
わたしはどうやらわたしは不器用ですので、そのようにやってまいりました。
ん?嫌ですって?いやぁ、今のわたしも同じように向き合ってますけど、嫌ですよねぇ。わかるぅ〜。
ただ、どうです?超えていきたいですか?壁を。そうですか、それでは一緒に超えていきましょうぞ!!

一緒に裸をやりたい人は、mosabaカレッジへどうぞ!

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