現実は自分の心の写し鏡


今、7歳女子、4歳男子、1歳女子の3人の母親として日々、過ごす中にふと、気になることがあった。

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最近、7歳の娘が弟にちょっと意地悪をしたり、きつく当たったり、少し気になることがあって、なんとなく長女を叱る頻度が高くなっていたような気がする。

小学校の課題もなかなか量が多くて、チアリーディングの課題もあったり、いわゆる「タスク」が多いと大人でも感じていた。

ちょっとだらっと過ごしていたらあっという間に夕方で、あっという間に1日終わる。

無意識に私があれもこれも「やらなきゃ」と思い、なんとなく気持ちがせかさられている状態で、のんびり遊んでる娘を見て、

「これやらなくていいの?もう小学性になるんだから自分で考えてやってね」とか

「今日チアの練習した?昨日もしてないしいいの?でももう夜遅いから結局今日もできなかったじゃん、もう自分で考えてやっていこうよ」

自分で言いながら、まるで大人でもできないようなこと言ってるな、私って内心感じている。

黙って、何も言わず立っている娘。

時には涙を浮かべながら黙って何も言わずに立っている。

そのまま、黙って静かに眠る日もあった。

昨日、小学校に課題を提出しに行くのにいつもなら一緒に行くけど、今日は一人で遊んでいたいというから私が一人で行った。

その帰り道、なんか深く反省してしまった。。。

何はともあれ、量もある課題を毎回きちんと仕上げて提出しているし、いつもダンスだって何をやるのも割と覚えるの早いからちゃんとやりきっている。

なんか責めるような言い方で無意識に「ちゃんとしてない」ことや「youtubeばかり見ていること」にイライラして、長女にイライラをぶつけていたのかもしれない。

私も長女だったから母から「褒められた記憶」より「叱られた記憶」の方が圧倒的に多く感じている。

そして、それが無意識にとんでもない長い期間、強烈なトラウマになってたんだった。。。

長女は黙って母親である私を見て、黙っていろいろ感じ、黙って成長している、だからとても、中身が割と大人。

私が長女を叱るのは、無意識に「自分を自分でせめているのかもしれない」。

「ちゃんとしてない」と言うことを。

彼女が最近、弟にちょっと意地悪をしたり、厳しくするのは私の写し鏡なんだ・・・って。

「自分が親になったらこんなことしない」なんて子どもの頃から思っていても、親になり、ふとした時に自分が自分を許せていない部分が無意識に出ちゃったりする。。。それって、こわい。。。

無意識に子どもの心をしっかりと自由を抑制させ、のびのびと真逆の外見は「いい子ちゃん」を作ろうとしていた。

もうさ。。。

「ちゃんと」なんてしなくたって十分できている。

「コツコツ」なんてしなくたって十分できている。

「きちんと」なんてしなくたって十分できている。

もう、どんな姿でも、もう十分じゃん。

そんな「ちゃんとする」ことよりもっと大切なことは「心豊かに」「心自由に」「幸せを感じ」笑顔で健康にいることじゃないか、って、思いながら

無意識に、私が子どもの時からの癖で、自分自身に「きちんと」「ちゃんと」「真面目に」を求めていたんだな・・・長女ではなく。

長女を通して、私の在り方を見つめさせてもらう。

もう十分、全ては完璧であるということ。

私にも、子どもにも、そして、主人にも。

全ての現実を創っているのは自分、そして自分の心。

いいこともそうじゃないことも結局は、自分が写しているんだよね。。。

周りを変える前に、自分を整えること。

正すんじゃない、整える

整える。。。そこに行きつく。

だから、やっぱり、今日も朝から部屋を整え、自分を整える。

目の前で、7歳と4歳と1歳が粘土で楽しそうに遊んでる。

彼らはそのまま変わらず、私が整うと景色が全て変わる。

ま、そういうことだよね。。。

さ、今からzoom講義準備しよ。

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