自分を愛して!

自分を愛すること

「自分を愛する」と言う言葉は、私が20代の時に、私の表面ではなく、本質を知る方々からよくよく言われた言葉だった。

当時、「頑張る」と言うようなことに関しては大得意だった私は周りから見たらどう見えていたのかは定かではないけれど、これだけ、複数の方々から言われるってことは、おそらく自分を愛せていなかったんだろうし、そう見えていたんだろう、と思う。

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あまりにも言われるから、どういう意味なんだろう?

私、そんなに自分を愛せてないのかな・・・と悩んでみたりしたことも多く、「それ」らしきことも自分なりに一生懸命やってみたりした。

例えば、

「自分のやりたいことをやってみる」

「自分の食べたいものを食べてみる」

「自分の行きたいところに行ってみる」

当時の私が「自分を愛す」こととして考えられたのはこんなことしかなかった。

そのくらい、自分を愛すことっていう意味がよく意味がわからなかった・・・。

表面的には、特に、仕事においては、割と働き者で、割と楽しく稼がせていただいていたので何不自由なくいつも楽しそうに見えていたのかもしれないけれど、本質が見える人からしたら私の深いところを見て、そう助言してくれていたんだと思う。

仕事は表面的でも通用するからそんなに支障はなかったのだけれど、「自分を愛する」ことができないで、まさか、今の主人と付き合って1ヶ月以内で、突然の別れをすることになるとは思わなかった。

突然の別れ

確か、彼の誕生日だったか、私の誕生日だったか忘れたけど普通に楽しく食事をしていたら、本当に突然、ふと思い出すように、「うん、別れよう」と言われ、何が起きたのかと思ったら、

「ごめん、ふと気付いた。自分を愛せない人とは一緒にいられない。

さっちゃんが自分を愛せないと一緒にはいられない」

って、え?数秒前まで普通に話して、笑ってたじゃん!!ってあまりにも突然でなんだ、この人??という感じで驚いたけれど、主人は御構い無しに

「自分を愛せなければ、人を愛すことはできないよ。

できたとしても、自分を愛しているレベルでしか、人を愛すこともその程度」

だと。

当時、この人いきなり、何言ってるんだろう?って、突然楽しい時間にいきなり、切り出された別れ話に意味不明で衝撃的だったけど、本質しか見ない主人からしたら、当時、私の「自分を愛すレベル」があまりにも低かったから、この人にはこれ以上の愛は注げないとおもったのかもしれない。

結果、数ヶ月後、再度、復縁はするのだけれど・・・

その時から

「自分を愛する」

というテーマは、私が生きる中で、自分を客観的に見つめるときに、自分の中で軸になっていることの一つ。

自分を大切にできずして、本当の意味で人を大切にはできないと思うし、

自分を愛せずして、本当の意味で人を愛せないと思う。

少なからずいまはそう思う・・・

(そして、昔はできてなかったなーとしみじみ思う)

つまり、自分が、自分を大切にできるレベルまでしか、本当の意味で、人を大切にはできないということ。

人には優しく、自分には厳しく、昔はなんかそういう風潮あったのかもしれないけれど、自分に厳しい人は、表面、人に優しく見えるかもしれないけれど、本心、内心は自分に厳しくするように、無意識に人にも厳しく、評価したり、裁いたりしているはず・・・

人を愛すより、自分を愛すことの方がずっとずっと、ずっと難しい・・・。

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バイブルのような本

私にとって、バイブルのような家庭の医学のような頼りになる本。

病気の症状を肉体面だけではなく、精神面、感情面、魂面から様々な身体に起きた不調を読み解いていく症状別の辞書のような内容。

リズ・ブルボーの、タイトルは「自分を愛して!」。

本

この本にこう書いてある。

「自分を愛するというのは、自分に対して、様々な経験をするのを許すということ、他者を愛するのを許すということ、さらには他者に対して、様々な経験をするのを許すということなのです」と。

本3

身体は心や魂とは本当にうまく連動している。

例えば、

「冷え性」を見てみると・・・

肉体的には、冷え性というのは、冷たい空気にさらされ、体が冷えること。

感情的なレベルは、冷え性になるのはその人が緊張していて、リラックスしていないから。外見は暑く見えても、中は決してそうではない。魅力的になりすぎること、他人から利用されることを恐れている。

精神的なレベルでは、どこが冷えているかを感じ、もっと自分を信頼しましょう。そして他人のことばかり考えるのはやめましょう、また出来事を大げさに考えるのもやめましょう

のように目の前の人がただ「冷え性」なのではなく、様々な感情、状態がその肉体の症状を引き起こしている、というメッセージということが書かれている。

目先にとらわれず、全体から見る視点

病気になった、調子が悪い、つまり肉体的な症状にとらわれ、すぐに病院、クスリ、ではなく、

もっと、もっと体の本質に深く見つめていくことが大切ということ。

いかに肉体を通して伝えたいメッセージを汲み取れるか、自分との対話、肉体との対話、それを日常の中でしていないと、なかなか身体が本当に伝えたいメッセージは読み解けない。

それって、子どもとの関係性と似ていると思う。

言葉がまだ話せない子どもの心をキャッチすることは自分の体の聞こえない声を聞くことと同じ。

自分を愛せていない時って、自分の体のサインよりも他人や社会的責任、子どもの気持ちよりも他人の視線や社会の目、いわゆる「一般的」という感覚を優先してしまう、無意識に。

だから、外面は誤魔化せていいけど、だいたい、内心、いつもイライラ。

自分に対しても同じようにイライラ、だから身体外側の子どもに対してもイライラ。

いかに、聞こえない声、身体の声に寄り添って聞いてあげるか。。。

症状が教えてくれるメッセージや深い感情にいつも着眼する視点を持つことは本当の意味で本質であって、「自分を大切に、愛せる」ことだと思う。

親子

これからの時代、個の時代になってくるからこそ調和が大事になり、それはまず自分と調和し、自分で自分のセルフケア、セルフマネイジメントができるか、大切にできるか。

とことん、遠慮なく、自分ケア、自愛、自分に優しく。

それがしっかりできるからこそ、人をケアでき、人を愛し、人に優しく出来るんだと思う。

そしてその輪は自分が満たされたら、ようやく他人へ、そして社会へ、世界へ、地球へと広がっていくのは間違えない。

だからこそ、その根底の「自分を愛すること」がもっともっと大切になってきていると思う。

私にとってのバイブルのような本

そして、私にとっての軸になっている視点

誰にも遠慮することもなく先ずは「自分を愛して!」ということ。

そういえば、一番のお手本がそばにいる・・・感謝を込めて。


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