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不登校、HSPの息子が高校を決めた

先週土曜日は、午前中だけ雨が降っていました。

晴れた校内を見たかったのに…

息子と夫と、文字通り『最後の』学校説明会に来ていました。

延ばして明後日にしてもらった三者面談で、志望校を確定する…

そのための最後の高校選びでした。


息子は、中1の秋から学校に行かなくなりました。

1学期、皆勤で行ったことが少し不安だったけど、その不安が的中したのか、ある日「疲れたから休みたい」と言ってきたのです。

確かに疲れているようでした。

4月、学校から帰ってきた夕方、制服のままベットに行き倒れていました。

部活も行ってないのに…?
6時間、授業に出ただけなのに…


小学校は、3年生から「休みたい」と言い始めました。

3年生は、担任の先生の小言を聞きたくなくて。

5年生は、多すぎる夏休みの宿題が終わらなくて。

6年生は、クラスの男子と担任の先生のバトルに、「クラスが荒んでいるから」という理由で。

小学校の間は、理由がありました。
休みたいのは、学校にいきたくないから。
不登校ではなく、理由がある登校拒否でした。

息子の人生で、4年生の時だけが唯一凪いでいました。


中1の秋は、初めは「疲れたから」だったけど、だんだん、理由は言わないけど「行きたくない」と言うようになってきました。

でも、言動に注意していると、ある日は柔道のことばかり話しているので、「初めての柔道が不安なのかな?」とか、生徒会選挙について詳しく聞いてくるので、「選挙の仕組みがわからなくて不安なのかな?」とか、その日行きたくない理由がわかりました。

でも、だんだん休む回数が増えてくると、その理由も探し出せなくなってきました。

中1の冬休み。
年が明けてから、息子は学校に全く行かなくなりました。

息子が、他の不登校の子と少し違ったことは、土日は外に出ていることでした。

小さい頃からずっと、週末は山や川に出かけていたので、その頃からのつながりで、土日は出かけるところがありました。

中1の春先、お友だちのお父さんに車で連れて行ってもらったことがきっかけで、平日の自然体験の活動に、1人で電車に乗って出かけるようになりました。

事前に、待ち合わせ場所までの乗り換えを確認し、20分前くらいには着ける想定で逆算して、公共機関を使って出かけていく。

出かける準備は、全て自分でやる。

そんな、社会人に必要なスキルを中学から身に付けて、きちんと実行できることを、素直に凄いなと思えました。

学校には行けなくても、社会に出て暮らしていけるスキルをつけていこう。
そう思いました。


中2の夏。
ある日、起きてきて突然「塾に行きたい」と言い出しました。

何がきっかけなのか?
今もまだ聞いていませんが、予兆なく、私の勧めもなく、突然のことでした。


先生と一対一がいい。

それが息子の唯一の希望でした。
色々調べていくと、《個別指導》と書いている塾は、どこも一対複数で、先生1人に対し、生徒は2〜6人くらいでも、個別指導と謳っていました。

いくら調べても見つからない一対一の塾。
そんな塾なんて存在しないのか…と諦めかけた頃、ふと、出産前に働いていた塾のことを思い出しました。

あれ?私、生徒1人に教えていたよね?
周りもみんな、先生と一対一だった…よね?

そっか。私、個別指導の塾で教えてたんだ!

一緒に受験を戦ったこと。

大学の入試問題を解くハメになって、息子がお腹にいる頃、毎日必死で過去問を解いていたこと。(胎教になるかな?と笑うほど…)

教えていた生徒が大学生になって、講師アルバイトとして塾に戻ってきてくれたこと。

どれも、楽しく懐かしい思い出で…
その塾に息子も通えばいいんだ!!

思いついた瞬間、昔、上司だった先生に電話をしてしまい、14年ぶりに声を聞いたのでした。


その先生は、今は塾長になられていて、突然の私の電話も気にせず、すぐに相談に乗ってくれました。

息子も見学に連れて行き、「ここなら通ってもいい」と言い…
息子の塾通いが始まりました。

私「どの教科にする?」
息子「んー。何でもいいけど」
私「じゃあ、数学か理科にしたら?」
息子「なら、数学かなー」

今思うと、本当に科目は何でも良かったのか、それはわからないけど…

中2の担任の先生が数学担当だったことと、息子は理数系だと思っていたので勧めたのですが、息子が数学を選んだことは後に大きなキーポイントになりました。


数学を塾で学ぶなら…

「定期テストだけ、受けに行ったら?」

「そうだね」


作戦成功。
学校に行くきっかけができました。

中2の2学期、中間テスト。
久しぶりに行った学校で受けたテストは、思ったより点数が良く、息子も笑顔が見えました。

合唱コンクール。
友だちが指揮者になったので、CDを持って来てくれました。

練習には行かなかったけど
「本番を観客席で見たい」
と言い出しました。

先生の許可をもらい、一緒に会場へ。
クラスの合唱を聴き、帰ろうとしたら
「最後の発表までいたい」
と息子。

お友だちの家族に息子をお願いし、仕事なので先に帰ってきました。

息子のクラスは金賞を取ったそうです。
最後までいられて良かった!

喜ぶクラスのみんなを観客席から見ながら、その喜びを同じ会場で共有できたことは、息子にとっても良い思い出になったことでしょう。


そのまま、期末テストへ。

「数学だけ、授業を受けに行ってみたら?」

先生がいるから。友だちもいるから。
たまに、午後の数学だけ受けに行くようになりました。

そして、中2の3月。
校長先生との三者面談がありました。

「世の中はおよそ2割の人たちによって動かされ、新しいものが生み出されているんだよ。君は、普通では無いかもしれないが、その2割のマイノリティだ」

「君には、9人の担当教諭がいる。色んな大人がいることを知りに、良かったら学校に来て欲しい。そして、良いところだけを真似て、素敵な大人になって欲しい」

息子にどう声をかけたら、学校に来るきっかけを作れるだろうか?

校長先生が、息子に会う前に色々考えてくださったことが想像できました。

「何か望みはありますか?」

「中3も今の先生のクラスにしてもらえると有難いです」

校長先生は、ずっと息子のことを応援してくださっていました。

私たちにエールを送ってくださっていると感じました。そして、3月末で定年退職されました。今も、感謝の気持ちでいっぱいです。


中3の4月。
中2の担任の先生のクラスでした。

コロナで分散登校になっていました。
息子はうっかり出席番号を間違え、家を出る寸前に、明日登校だと知りました。

タイミングを逃したかのように、翌日は登校せず、そのまま自粛が始まりました。

自粛で中学生がみんな家にいることでホッとしたのか、息子の笑顔が増えました。

高校進学も具体化して、学校見学や説明会に息子も足を運びました。

修学旅行や、中3は参加しようと話していた合唱コンクールは中止になってしまったけれど、自粛が明けてからは釣りに励み、誕生日には柳刃包丁をもらい、100本位の魚をさばき、私が怪我をした後は、週に1〜2回夕飯を作ってくれています。(冒頭の写真は、今の得意料理、きのこのクリームパスタ)

そんな息子を頑張ってるなと思うし、毎日を楽しんで欲しいと願っています。


話しは逸れてしまったけれど、土曜日に行った高校は、最初に説明会に行った高校で、その時の雨の校内があまりにも寂しくて、晴れた日の校内を見たかったのですが、また雨で…

でも、雨上がりの校内は、以前とは違い、明るく感じました。息子も今回はレポートの量や校内の様子を改めてじっくり見ていました。

息子は、週2で済むように科目を選び、4年で卒業できたらと思っていました。HSPが苦手な、集団の中に毎日いなくても済むように…です。

家に帰り、夕飯時に聞いてみました。

「どこにする?」
「今日の学校にしようと思ってる」

ようやく息子が「ここに行く」と言い切りました。あとは受験を待つばかりとなりました。


大学みたいな高校もあることを、HSPの中学生と、その親御さんに知ってもらえたら。

「不登校のまま中学を卒業しても、何も心配することはないよ」と、親が自信を持って子どもに言ってあげられたら。

子も親も、もっと安心するのではないかな?
そのモデルになる人生を歩めているのではないかな?


応援してくれている方、心配してくださった方、ありがとうございます!

無事に受かって、高校に通えるようになったら、また報告したいと思います。

肩の荷が降りました。
後は、自分の怪我に専念します。

と思ったら、娘が小学校を休み始めました。

「これからまた3年付き合うのかな?」と思うと、我が事ながら、「親は、身を粉にして、子育てをしているんだな。親って凄いんだな!」と他人事のようですが、そう思います。

母性が無いと自覚している私がそう思うくらいだから、世の親御さんたちの苦労は大変なものでしょう。

母性が無くても子育てはできる。
そのモデルとしても、この人生を歩んでいるなと感じます。

子育てに、休みは無いんですね!




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