見出し画像

理想の"母親像"に苦しむママたち。

母親になれば、子どものことが何でも分かる。
母親になるだけで、子どもの泣いてる理由が全て分かり、落ち着かせることも簡単だ。

母親になれば。
母親だから。
母親なのに。

私達は"母"という言葉に期待しすぎている。
そして、世間からも"いつも愛情たっぷりの母親像"を求められている。


数日前、こんなツイートが話題になっていた。




母親経験者が最初にぶち当たる壁だろう。

可愛いハズのわが子を、純粋に可愛がってあげられない。
母親なのに、愛情を持ち続けられない。
私は母親失格で、育児に向いてない。

上のツイートにある通り、この絶望は"綺麗事の母親像"から起きている。

夫がバカ高いみりんを買ってきただけでイライラする自分
靴ひもがほどけただけで出かけるのが嫌になる自分

こんな私でも、母親になればマリア様のように優しくなれると信じていた。

今なら言える。
そんなのできるはずがない。

これは無理だ、と気づいたのは産後2週間のときだった。

産後ボロボロの体で、歩くことすら辛い中、小さなわが子の命を背負っている。

少しの変化も見逃せず、1日中気を張っていた。

身体と心が限界を迎える寸前、息子が延々と泣き続ける日がやってくる。

授乳をしても、だっこをし続けても大声が止まらない。

どうしよう。
何とかしてあげないと…!

最初は心配と不安だったが、徐々に苛立ちが募ってきた。いつの間にか、息子が敵に見えてしまっていた。


私はこんなに頑張ってるのに、なんで応えてくれないの!?
まだ私を苦しめるつもり!?


心からあふれ出る言葉達を必死に抑え込もうとしたが、できなかった。


「何で泣きやまんの!?もう知らん!!」

子どもと2人きりの部屋で、大声で叫んでしまった。すぐに、猛烈な後悔が襲ってくる。

声を荒げたのは、人生で初めての経験だった。
大人達にどんな意地悪をされようとも、自分を見失ったことなんてない。

不機嫌さを全力でぶつけてくる人達を恥ずかしいと思っていたし、それが出来ない自分が誇らしかった。


だが、私もあの人達と同じだった。

私はずっと穏やかな人間で、落ち着いて子育てができると信じていたのに…。

誰かに悪意を向けられた訳ではない。
愛情しかないハズのわが子。
守ってやらないといけないわが子。

何かあれば消えてしまいそうな存在に対して、本気の怒りをぶつけてしまったことを、後悔しなかった日はない。

私は、この子の母親なのに。



母親という存在は厄介だ。
子どものこと、何でも知ってるでしょ?
何があっても、冷静に対応できるでしょ?

知らず知らずのうちに、全知全能の神であるかのような扱いを受けている。
そんなことあるハズない。
いつも冷静でいられる母親なんて、フィクションの中にしか存在しない。


小学生の頃、彼氏を作るためには食パンが必要だと思っていた。

「いっけなーい!遅刻ぅー!ちこくぅーー!!」

学生鞄を左手後ろにセットし、食パンを噛み続けながら全力疾走。
角を曲がると誰かにぶつかるも、適当な謝罪をして放置。

学校に着いた後、転校生を紹介されたら、私は「あー!!」とわざとらしく叫ぶ。

そのうち、イケメンの彼氏候補が"おもしれーヤツ"と呟き、恋に落ちる。

中学生になる頃には、これがアリエナイことだということに気付いた。

そもそも転校生は来ないし、食パンを片手に出かけたら歯磨きできない。
なんか知らんけど汚いヤツ。で終わってしまう。

私はドラゴンボールを集めに行く日を待っているが、きっと永遠にやって来ないだろう。


大抵のことは、当事者になる頃には理想と現実の区別がついている。

しかし、母親だけは別だ。
世間の母親像は、理想だけが独り歩きしてしまっている。
事実を知らされないまま、女性達は母親になる。

そして、当事者になると、さらに高い理想を追い求めてしまうことになる。

何故だろうか?
私は、子どもという存在の尊さが為せる技だと思っている。

こんなに可愛いわが子を抱いている母親は、きっと穏やかで優しいはずだ。

そんな勘違いが、母親を苦しめる。

母親だろうが誰だろうが、大きな泣き声は不快でしかない。
子どもだから、ではない。
単純にヘルツの問題だ。

身体がボロボロのまま動いていたら、何をしたってしんどい。
子どもの笑顔に一瞬癒されることはあっても、身体の傷を回復させるような薬なんて入ってない。

辛くて当たり前。
泣きたくなって、叫んでしまっても当たり前だ。



自分1人ではどうしようもできない。
子どものことは分からないことばかり。


そう気付いたときが、子育ての本当の始まりだと思う。

子どもを怒鳴ってしまった今、自己嫌悪でいっぱいだろう。

だが、むしろ誇りに思って欲しい。

こんなに辛いのに、今日まで怒鳴ることもしなかった自分のことを。
子どもの幸せだけを考え、自分の気持ちを犠牲にできた日々のことを。

その全ての源が、子どもへの愛情であることを。


たった1回怒鳴っただけで落ち込むなんて、どんなに立派で優しい母だろう。


1人でも多くの人に協力を求めること
今まで溜め込んでいた気持ちを全部吐き出すこと

母親だから、無理をしてはいけない。
明日も母でいるために、少しでも休まないといけない。



理想の母親像は、自分の心の中だけに留めておけばいい。
できた時に思いっきり自分を褒めてあげよう。
理想通り出来なくて当然なのだから。

この記事が参加している募集

子どもに教えられたこと

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?