飲み会嫌い

会社の終業は17時。そして一時間半後には、会社の忘年会が始まる。
……嗚呼、憂鬱だ。

飲みニケーションだ云々と、面倒極まりない。
普段会社じゃ話せないからと酒を飲み、酒の力を借りて紡がれる言葉は大抵会社の愚痴ばかり。

そもそも、酒を飲まなきゃ交流出来ないとはどういうことなのか。酒の力を借りなければ言えない台詞など、言わずに黙っておけば良いのに。
本当に交流したければ、昼の休憩時間なり、三時休憩なりに時間を見つけてしたら良いのだ。

下っ端は、上司や先輩の話に角の立たぬよう、喩え内心興味が無くとも、氷点下の極寒の地の如く冷えきっていても、愛想笑いの笑顔の仮面で覆い隠して、相槌を打っているしかない。
気分は良くなくとも、愚痴でさえ、笑顔で流して聞くしか術はない。
角を立ててしまえば、後々人間関係が面倒に違いないからだ。

無礼講と言われても、結局は上司や先輩を気遣い御酌しないと、何で御酌しないのなり、グラス空いてると指摘されるのだから……最早何が何やら。

何千円と高い金を払って料理を食べても、上を気遣って立ち回るうちに、温かい料理はすっかり冷め、乾燥してしまっている。
味は美味しいが温かいうちに食べられたなら、もっと美味しかったのだろうと考えてしまう。

高い金を払って得られたのは、美味しい料理でも酒でもなく、沢山の愚痴と胃痛と頭痛。
感覚的に私にとって飲み会は、金と健康と時間を蝕まれるサービス残業だ。

胃をキリキリさせ、冷めた料理を口にしながら、私は笑顔の仮面を張り付け、上の話を聞く。
他人から紡がれる毒を耳にしているうちに、私の内も毒に満たされていく心地がした。

__毒は感染するのだな。
そんなことを考えながら、毒を飲み込むように酒を仰いだ。