どっちでもいい どっちもある
最近
どっちでもいい
どっちもあるという意識が増えてきた
これまでずーっとあった「こうあるべき」から少しずつ解放されて
どっちもあると思えることが増えたのはごく最近
善悪、正誤、上下、優劣を沢山沢山体験して、それらを受け入れたたらどっちでもいいし、どっちもあると思えてきた
自分の中の戦いが終わればそれらは必要無くなる
いつだって現実は自分の内側が現れているだけ(ちょっと時間差はあるけど)
そういう視点で物事を捉えていくと人のせいにならないし、どっちがいいか悪いか正しいか間違ってるかなどもどーでもよくなる
早く気付ける人もいればそうじゃない人もいる
若い人ほど気付くスピードは早いと感じる
人は必ず中庸に向かう
物事は全て陰陽
太陽(陽)も月(陰)も必要で
男性(陽)も女性(陰)も必要
善を唱えれば必ず悪が出る
正があれば必ず誤が生まれる
何かが生まれるとその反対が生まれる
だから両方あってどっちでもいいの視点に立つと中庸に行く
どっちでもいいと思える為に、私は振り子のように両極の体験が必要だったのだと今は思う
だから沢山競ったらいいし、争ったらいいし、正義を押し付けあったらいいし、上下関係で優劣つけたらいいと思う
そして沢山人のせいにして、自分も他人も傷付けて自分と向き合い中庸にいくんだと思う
人は必ず中庸に向かっている
その人のタイミングでその人が決めていく
だから安心して彷徨ったらいいよね
それが死ぬ時かもしれないし、明日かもしれない
私も道半ば
まだまだ片方だけの部分はある
それもあっていい
一つ一つ中庸に、そして一歩一歩前に進むのみ
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