見出し画像

怒りは強すぎる愛


怒りが出る時ってどんな時だろう

期待が裏切られた時

期待通りにいかなかった時に起きる

(怒りは第二感情と言われるように、その奥には必ず悲しみがあるんだけど)

例えば家族間で言うと

子どもが言うこと聞かないとか

パートナーがぐうたら、とか

【期待】してしまうが故に生まれる

アドラー心理学でも

期待を手放せば悩みは激減すると言っている

そもそも期待をするくらいなのだから相手に関心があるのだ

好きだから期待してしまうのよね

そこには既に愛が存在している

他には自分の(想像の)範囲を超えた人が現れたり、物事が起きた時にも生まれる

私の経験で言うと

かつての私は人のことを気にせず、好きにやってる人を見ると腹が立っていた

それは私の中に人に迷惑をかけてはいけないという枠があったから

その枠を超えるとなぜ怒りになるかというと

自分を守るための愛から来てる

怒りの本質を探ると
本当は自分も自由に好き勝手やりたいのに、できないという羨ましさや妬みがある

でもそれを感じるのは辛いし、認めたくない

そんな自分を守る為の愛が怒りとなって出てくる

他にも大切なもの(人)を奪われた時にも怒りは起きる

その怒りの奥底にはやはり奪われた悲しみがある

怒りの矛先が自分であれ、他人であれ、そこに愛は存在している

だとしたらそんなに怒りに蓋をする必要はないのではないか

ただし、怒りは愛が強すぎるが故に歪んで捉えられて【恐怖】に感じてしまうことの方がほとんど

人は恐怖を感じると自分の思考や感覚を閉ざしてしまう

そして怒られないようにやる

怒られるからやる、というふうに

自分の感覚を無視して恐怖を回避する行動に走るようになる

そうやって恐れからとる行動は決して良い結果を生まない

むしろ回り回って自分の首を締めることになってしまう

だから怒りは恐怖ではなく強すぎる愛なのだと認識できれば、押さえ付けていた人も怒りを解放できるんじゃないかと思う

「ケンカは愛のデトックス」だと言う人もいる

そう解毒、解放しあっていけばいいのだ

怒りを恐れではなく、愛と捉えてみる

するとまた世界が違って見えてくる

どんなことにも愛は必ず存在する


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?