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Pimpingを教育学的に再考する

 ソクラテスによる教育方法のように、学習者側の理解を深めるための質問ではなく、むしろ学習者が恐れてしまうような質問になっていることを、Pimpingとして前回まとめました。

 Pimpingについては、前回ご紹介したBrancati(1989)、Detsky(2009)らがまとめた以後、学習者へのハラスメントに関連していることが言及されています。2015年には、JAMAの医学教育特集の号において、Pimpingのことが言及されています。そもそもPimpingに関する文献はまだ少なく、ときにPimpingを受けた研修医や医学生の自発的な学習を促すという良い影響があることを示しつつも、やはりその負の影響について述べられています。

Pimpingによる負の影響の根拠

 Association of American Medical Colleges(AAMC:米国における医学校の協会)が14,877人の学生を対象にした卒業時のアンケートで、46%が「公に恥ずかしい思いをした」、23%が「公に屈辱的な経験をした」、40%が「何らかの虐待(身体的人種、性別、性的指向に基づく危害や差別)を受けた」という結果が出ています。

All school reports. Association of American Medical Colleges. https://www.aamc.org/data/gq /allschoolsreports/. Accessed May 20, 2015.

 また、ペンシルバニア州立医科大学の学生を対象に、自身の受けた教育経験をマンガで表現するという調査もあります。66人の学生のうち、47%がホラージャンルのマンガを選択し、暗闇・悪魔・死の場面を示唆しました。こういった場面を選択した理由の一つに、自分の持っている「情報が少なすぎる」ことが挙がっており、指導医や教員から質問された際にうまく答えられず、求められることに対して十分に答えられるほどの知識がなかったことが要因となったようです。上のAAMCが行ったアンケート結果よりも、内省的に学生の視点を伝えるものだとも主張されています。

Daniel R George, Michael J Green. Lessons Learned From Comics Produced by Medical Students: Art of Darkness. JAMA. 2015 Dec 8;314(22):2345-6.

 このように、医学生が教育現場で嫌な思いをしているという、おそらくはPimpingのような質問にうまく答えられない状況による、学習者への負の影響を示す文献をご紹介しました。いずれも学習者の反応をみており、より高次の影響まではみられてはいません。これは、教育カリキュラムやプログラムの評価を行う際によく用いられるKirkpatrickモデルが参考になります。

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Kirkpatrick DI. Evaluation of training. In: Craig R and Mittel I. Training and Development Handbook. McGraw hill. New York. 1967. p87– 112.

 教育効果を評価するときに、このKirkpatrickのモデルは有用です。この表のようなレベルを意識すると、多面的に評価を行うことができます(レベル、と書いてありますがレベルが高い方が必ずしも良いということではありません)。上の調査ではレベル1の学習者の反応をアンケートなどで評価しているわけですが、より異なるレベルの変化を求めて、教育学的にPimpingを検討した文献があります。


ソクラテスはPimpingなんかしていない

 ”Socrates Was Not a Pimp: Changing the Paradigm of Questioning in Medical Education”、再びソクラテスです。この文献では、「学習者への質問」が医学教育における中心的な教育技法であることを、それが多面的な役割を果たすことを示しつつ、この単純に見える技法の難しさを説明しています。「質問する」というのは簡単に見える教育技法ですが、多くの指導医は正式な訓練を受けておらず、自らが教わったやり方を踏襲していることが多いのではないでしょうか。この自分なりのやり方が、代々伝わってしまい「Pimping」というスラングが生まれたと指摘しています。

Acad Med. 2015;90:20–24.

良いPimpingと悪いPimping

 2005年のWearらの調査で、以下のようなことが示されました。
▶︎学生はPimpingの階層的な性質を特に強調した(指導医と研修医は学生にPimpingするが、指導医は研修医にもPimpingする)
▶︎Pimpingはどこでも起こる(手術室、回診の合間に廊下を歩いている時、ベッドサイドなど)
▶︎学生は、指導医が評価のためにPimpingをしていると感じている(知識の確認や実際に臨床状況にどう適用させるかなど)

 さらに学生への調査から、「良いPimping」と「悪いPimping」に分類されました。「良いPimping」はさらなる学習を促すような質問になっており、例として手術見学の前に解剖学について予習をすることを促すような質問によって、事前学習につながった、などがありました。「悪いPimping」は、学生が恥ずかしいと感じたり屈辱を与えられたと感じるようなもので、例として「指導医が思う答え」を答えないといけないとか、シンプルに知っているかどうかの質問など、質問をした指導医だけが答えを知っているような状況で起こっているようでした。

 また、特定の学生に質問が繰り返しなされたり、答えられないと他の人に質問が移されたりすることをPimpingであると感じる、という結果もありました。つまり、答えられないことが何らか苦痛を伴うとPimpingだと感じやすいようです。そういう状況では、学生も教育的に効果的だとは感じられず、逆に少人数のグループ学習で気軽に双方向の質問や回答ができる対話形式の学びが好まれるという結果も出ていました。

Wear D, Kokinova M, Keck-McNulty C, Aultman J. Pimping: perspectives of 4th year medical students. Teach Learn Med. 2005;17:184–191.


 このいわゆる「悪いPimping」の例として、
▶︎重箱の角をつつくような質問
▶︎自発的で素直な疑問や質問をさせない
▶︎敵対的な雰囲気
▶︎人間らしい対応がなされない
などを挙げる文献もあります。

Stanton C. Pimper pimped. JAMA. 1989;262:2541.

Pimpingという名称が良くない

 BrancatiらがPimpingを「指導医が一連の非常に難しい質問を、矢継ぎ早に研修医や医学生に提示すること」と定義しましたが、この悪いPimpingの特徴から分かる通り、単に質問をすることではなく、何らかの形で学習者に不快感を与える意図を伴うものである、と認識すべきと言われています。そもそも、Pimpingという言葉は、普通に英和辞典などで調べてもらえると分かる通り、「ポン引き:売春婦の客を勧誘する人」を表す言葉であり、そもそも否定的な感情的反応を呼び起こす言葉です。

 ですが、Brancatiの論文以降、30年ほど使用されてきています。この理由として、
▶︎一見うまくいっているようで学習者にネガティブな影響を与えている
▶︎一見ソクラテスの教育方法を反映しているように見える
▶︎学習環境の権力構造を維持するのに有効
▶︎古い教育学が有効であるという考えを改められない指導医が代々受け継ぐ(自らが教わったやり方を踏襲する、ということですね)
といったことを挙げています。そのため、このようなPimpingを改めることにつながらず、スラングとしてのPimpingに代わる言葉が出てこないではないかと推察されています。

 なので、この文献ではPimpingのことを「医学教育における権力階層を維持する手段として恥や屈辱などの不快感を引き起こすことを明示的に意図した学習者への質問」を意味するように定義されるべきであると主張しています。これにより、臨床上の学習環境に対するPimpingの負の影響を明確にし、質問という教育技法の実践をより良いものにする機会の創出につなげることになると指摘しています。

ソクラテスに立ち返る

 指導医側が、ソクラテスもPimpingのような教育をしていた、と思い込んで学習者に負の影響を与えているのかもしれません。確かに、ソクラテスは対話の相手が知らない・気付いていない・認識できていない真実について質問しているという意味では、Pimpingのようにも見えるかもしれません。しかし、ソクラテスは対話を通じて批判的思考の訓練をさせており、お互いの認識がずれていることに気づかせることで「aporia 困惑」を生み出し、それが学びへの興味・好奇心を生み出して深い学びにつなげたと指摘されています。

Reich R. Confusion about the Socratic method: Socratic paradoxes and contemporary invocations of Socrates. Philos Educ Arch. 1998:68–78.

 現代におけるソクラテスの教育理論の解釈としては、
▶︎集団での協働
▶︎特定の答えがないことについて、既知の知識を活性化させて模索する
▶︎議論の振り返り
という3つの要素が基盤にあると言われています。2つ目のように、特定の答えを求めるような質問がなされ、答えが単一であるために模索したプロセスがないと振り返る余地もないと、学習者にとって恥ずかしい思いをしたり屈辱を感じたりすることにつながることはお分かりかと思います。

 これを踏まえ、何らか指導者側から学習者側に質問をするときには、
▶︎質問は意図的なものにする(教育者は質問で何を達成したいのかを考えているかどうか)
▶︎上記の現代におけるソクラテスの教育理論解釈を適用する
▶︎成人学習理論からPimpingを捉え直す
ことが提案されました。

意図のある質問

 学習者に尋ねようとしている質問の、根本的な目標が何なのかを検討することです。これを考える時の枠組みとして、
▶︎知識
▶︎学習者
▶︎評価
▶︎コミュニティ
のいずれを意識すると良いとされます。多くの質問は、上記の複数にまたがっているとされます。その際に、質問の意図の中に学習者へ不快感を与えることが含まれていれば、質問の内容や仕方を変えたり、質問を避けたりすべきです。

 「知識」は、その質問が意図している事実、概念、スキルを指し、学習者がすぐそれを確認できる資料があるか、事後的に復習につなげるものであるかを意識します。
 「学習者」は、学習者が今持っているベースの知識をメタ認知させ、次のステップとして何を学んでいけば良いか支援するような質問を意識します。例えば、徐々に質問のレベルを上げていくことでそれを促せますし、学習者が資料に関する誤解や先入観を持っているのを修正することに役立ちます。
 「評価」は、形成的評価と総括的評価を意識します。形成的評価ならば、例えばその質問をすることで、どう理解しているのかを指導医側が把握し、それに応じた指導を行います。回答に応じて適切な資料を提供したり、どの部分の理解が不十分なのかを把握することで次に学ぶべきポイントを示したりすることができます。総括的評価としては、その質問によって学習者がどのくらい理解しているのかを判断するテストのような意味合いを持つので、少なくとも普段の回診やカンファレンスで総括的評価として行うことはないと思います。何らかの評価を下すという意味ではなく、指導医側が質問に対する回答だけを聞いて学習者の能力を判断するようなことがあれば、(仮に無意識であっても)それも総括的評価と言えるかもしれません。
 「コミュニティ」は、学習者が学んでいる環境の視点を意識します。学習者がどのように情報を得ているか(何を使って勉強ているか、実習でどういった気づきを得ているか、など)を把握することで、指導医側が主導する学習機会を提供すべきか、学習者側が主導する学習機会を提供すべきなのかを考えます。それによって、具体的な学習リソースをお互いに確認することにもつながると思います。

 特に「知識」のところで有用なのは、Bloomのタキソノミーです。認知的領域の6つの段階を意識しておくことで、質問内容を工夫することができます。

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梶田叡一(1983)「教育評価」有斐閣、表3-1、p112(英語は同書などから加筆)http://www.gsis.kumamoto-u.ac.jp/opencourses/pf/2Block/04/04-1_text.html

まとめ

 教育に関する理論を知り、効果的な教育スキルを以て質問すれば、完全ではないにせよPimpingになることを避けられます。また、質問をする状況を確認し、学習者の心理的安全を確保した上で、しようとしている質問の意図が何なのかを振り返ることから始めなければなりませんね。ただ指導医側だけでここまで意識することはなかなか実際には難しいと思いますので、医学生や研修医の先生とこの話題を共有することで、お互いの認識を話してみて、これから指導医になっていく若い世代が自然と意識していけると、Pimpingという言葉の使われ方が変わっていくかもしれません。

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