素直じゃないといいことがないので、素直について本気出して考えた。
ここ数年「素直」について考えている。
なぜかというと、自分が素直じゃないまま大人になってしまったからだ。
「素直」というのは幼少期に愛されて育った者に備わるもので、意識的に「できる」ものではなく、同様に「素直じゃなさ」も環境によってできあがってしまった「替えようのない変わることができないこと」だと思っていた。
大人になるにつれわかったのは、「素直じゃないこと」でいいことはひとつもないということだった。それはちょっといやだなーと思い、「本当に変わることはできないのかな?」と考えるようになった。環境によって備わったネイティブな素直さは手に入らなくても、考え方であとから素直になることはできないか?と。
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会社員だったとき、10年以上毎年、何十人もの採用の面接をしていた。
採用のときに大事にしていたのは「素直さ」だった(自分のことは思い切り棚に上げている)。
経営者の知人友人と採用について話していても「会社にほしいのは素直な人」という人はとても多い。
ここでいう「素直さ」というのは「言うことをきく」とか「言うとおりにする」という意味ではなくて、批判や違和感も含めて「自分の感情や考えを自分のものとして大事にできるかどうか」ということだ。
それができると他者の考えも自分のそれと同じように大事にできるし、逆にいうと自分のことを知らないと、人(会社)のせいにするからだ。
自分の考えをどこでどう出すかはセンスが問われるけど、それは後から学ぶことができると思う。
だけど、「普通はこうでしょ」「会社はこうすべき」と、自分の考えではないものを軸に動く(動かそうとする)人は、他者や組織の粗探しを続けることで自分を保とうとするので、後からいい方向に変わることはあまり望めず、お互いにしあわせではない。
これはまさに素直じゃなかった自分にも思い当たることがたくさんあって、「わたしはこうしたい」という意見は、自分の考えのように見えて「こうしたほうが会社のためだ」ということが多かった。
会社のためなら悪くないじゃないかと思うけど、そのすぐ裏には「会社のためにやってるのに」という思いがいつもあったように思う。経営者になった今、どんなにできるスタッフだとしてもそんなふうには思われたくはない。
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「素直じゃないこと」と「人のせいにすること」はセットだと思う。
たとえば、「好きなのに好きじゃないことにする」という典型的な「素直じゃなさ」は、その裏に「どうせ自分の思いは叶わない」といういつかの経験があって、それは仕方がないかもしれない。
だけど「自分の思いより相手の思いを大事にする」というのは言い方を変えると「相手のせいにしている」ってことなのだ。厳しいけど。
いつかの経験から自分を守るためにうまれた考え方や行動パターンはなかなか手強く、思いがつよい分「それこそが自分だ」と思ってしまう。
そういう経験からくる考え方は、経験は変わらないので見る方向を変えるしかない。
「素直さ」を分解して捉え直すと、今まで「相手がどう思うか」だけを大事にしてきたのを「相手のせいにしない」「自分の欲や考えを知る」ことにフォーカスして、経験とは切り離してそれ単体で考えることはできる。そして、さらにそれを習慣にすると結果的に素直さは手に入ると思う。
「素直さ」に必要なのは、ひとの言葉や気持ちを受け取る姿勢だと思いがちだけど、それよりも「自分を知ること」と、そこから目を逸らさない勇気が必要なんだと思う。
誰かの反応や社会の評価を切り離して「自分がどうしたいか」を知るのは、それをしてこなかった人にとってなかなか難しい作業だけど、そこにしか道はないなとわかってきたので、ここ数年修行のごとく続けてきた。
「こう考えたらいいよ」というと「それができれば苦労しないですよ」と言われるけど、苦労、しようよと思う。我慢じゃなくて苦労ならしようと。この苦労の先にはちゃんといいことが待っていると思う。
まだまだわたしも道の途中だけど、「後天的に素直さを手に入れることができる」というのは「素直じゃない界」にとっては革命だと思うし、ものすごくクリエイティブだと思う。
この過程の言語化が、誰かにとって今後の道をつくるきっかけになるといいな。
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