見出し画像

かわいい子には旅をさせる理由

のんびりとしたお正月を自宅ですごしていたら、あーちん(15歳)が「友達が大阪に遊びに来ないかって言ってるんだけど」とスマホの画面を見ながら言う。

学校の友達が、年末からお母さんの故郷に帰省しているのだけど、ヒマすぎて帰りたい、はやくあーちんと遊びたいと言っていて、お母さんも「ひとりで帰すわけにいかないから、それなら大阪に来てもらえば?」という話らしい。

「へー、行ってくれば?」と返すと、「えっ、いいの?」と驚いていた。そして翌日(さっき)、あーちんはひとりで新幹線に乗って大阪へと向かった。


駅まで送りにいく間、「本当に行けると思わなかった」とうれしそうだった。

「わたしの友達でもわたしの時間でもないから、禁止する理由がないよね。それに、お金はかかるけど、今回の旅費はあーちんが自分で稼いだお金の口座から出すし、こういう経験はつくろうと思ってもつくれないから、経験に投資すると思ったら安いんじゃない?」と言うと、「ママちん(わたしのこと)ってヘンな親だよねえ」と言っていた。


あーちんは小さいころからほしいものがなくて、毎年誕生日やクリスマスに「なにもいらない」と言うので困るほどだった。

彼女は「お金を稼ぐ」という経験を早いうちにすることができたので(ほぼ日さんで『くまお』を出版したり、noteで『ひとんちのペット絵』を販売したりした)、さらにはお金を使うという経験もしてほしいと思っていたので、ちょうどよかった。

ほしいものがなければお金を使わなくてもいいけど、お金をつかうことは悪いことではないし、モノを買う以外の使い方や、高いとか安いとかではない価値を実感してほしかった。

新幹線や飛行機に乗ってしまえば、ひょいとどこにでも行けるということも実感して身につけてほしいし、誰かに会いにいくという理由でいつでもどこにでも行ける人になってほしいという思いもあった。


わたしはお金に対してちょっと捻れた価値観で育ってしまったようで、お金をただの数字だと意識して捉えなければ、「ちょっとこわい」という感覚があった。「お金がないことがこわい」「お金がなくなるから使うのがこわい」「お金を稼ぐためにいやなことをしないといけないのがこわい」という曲がった価値観を直すのには多少の努力が必要だったので、自分の子供にはそこで苦労しないでほしいなという思いもあった。

「こうなってほしい」ということばかり書いたけれど、子供に「こんな大人になってほしい」と願うときは、いくら説明するよりも、大人がやって見せて「大人になったらそんなこともアリなの?いいなー!」と思ってもらうのが近道だし、実際に自分でやってみるのがもっと早い(いいなと思わなければそうならない選択肢も与えたい)。そして、早く大人になりたい、自分の力で稼いだお金でまた楽しい経験をしたいと思ってくれるといい。


「かわいい子には旅をさせよ」というのは本当にそうだなと思ったし、「生まれたときからこどもの旅はすでにはじまっている(だからジャマするな)」とも思う。

さっきお友達のお母さんから無事合流したと連絡があって、そこには「ふたりとも、とてもうれしそうです」とあった。それはなにより。



\読んでくれてありがとうございます!/ みなさんのサポートはとても励みになっています。