見出し画像

シングルマザーのクッキー屋の話【こどもとわたしのこと①】

こども(あーちん)が0歳の頃から働いていたけれど、公立の保育園に預けることができたし、実母と一緒に住んでいたので深刻な問題はなかった方だと思う。
それでも保育園のお迎えや食事、お風呂、寝かしつけなどを母に頼んだことはほとんどなく、小学校に上がるまではどんなに忙しいときもお迎えから寝かしつけまでが終わってからまた会社に行ったりしていた。(それでも寝ている間家に誰かがいてくれるだけで本当に助かった)
実家はすでになかったので私が部屋を借りて、金銭面でも母に借りを作らないようにしていた。そこまでして母に「迷惑だ」と言われまいとしていたのは、自分のためというよりその空気を必ずあーちんは汲み取ると思ったからだ。自分のお世話はひとに迷惑をかけているんだと思ってほしくなかったから。
その距離の取り方は正解だったようで、母とあーちんは今でもとても仲がいい。

わたしはあーちんが0歳のときから「このひとは何でもわかっているんだろうな」と思っていて、実際あーちんだけではなく子供って本当になんでもわかっているんだと思うし、大人が「子供にはわからない」としてやっていることにわからないフリをしてくれてまでいると思う。言葉や表現が追いつかないだけで。

親が仕事のことを「嫌なこと」とすると、こどもはその嫌なことに自分の時間を取られているということになるから、わたしはなるべくあーちんの前で仕事を楽しいものだと見せるようにしていた。
職場のみんなや社長とも何度も会って、何をしてるか説明もよくしていたし、3歳から社員旅行にも一緒に連れて行ってもらっていたので、わたしがつい「仕事行かないであーちんと遊びたい」などと漏らしても、あーちんは「みんなもがんばってるんだから行ってきな」と送り出してくれた。

仕事だけでなく、親が何をしていると楽しそうか、何をしているとしんどそうか、子供はよく見ていると思う。
わたしはあーちんを置いて友達と食事にいったり遊びにいくときにも、敢えてちゃんと楽しそうにしていた。
私が楽しそうにしているとあーちんも嬉しそうだったし、なにより「おとなになったら楽しいことがたくさんあるよ」という姿を見せつけたかった。さみしい ではなく、羨ましい と思ってほしかった。
おとなはつらいよという情報ばかりでは、こどもがおとなになりたいと思えないだろうと思ったし、何のために成長してその先に待っているのが何か怖くないようにするためには、おとなに憧れることが一番なんじゃないかと思う。楽しみにすること憧れることは原動力だから。

あーちんがおとなになって振り返ったときに「大変なことも多かったと思うけど、母はいつも笑っていたな」と思い出してほしい。

長くなってきたので・・・初回はです。

\読んでくれてありがとうございます!/ みなさんのサポートはとても励みになっています。