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“普通じゃない”自分の幸せはどこにあるのか?/『ダルちゃん』を読んで

私は普通じゃないから 余計なことをして普通じゃないから みんなにうとまれる普通じゃないから 幸せになれない

だから
いつも人目を気にして
誰かになりきって
誰かに合わせて
そうしていなくちゃ

そうして生きていく以外に
どんなやり方があるのかわからない

はるな檸檬 『ダルちゃん』より

『ダルちゃん』は資生堂のサイト「花椿」で連載されていたマンガで、先日小学館より書籍化され発売された(全2巻同時発売)。

webで連載時より大ファンで、これはすごい作品だなーと思っていたけど、本になって改めて通して読んで、この作品がたくさんの人に届いてほしいと心から思った。

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社会のルールや女性の「普通」を努力して覚えて、誰かがよろこぶことを見つけながら自分の居場所をつくっていく主人公ダルちゃん(24歳 OL)は、どんどん自分が本当は何を感じ、何を考えているのかわからなくなっていく。

その生きづらさ、しんどさの中で詩に出会い、創作を通して友人や恋人ができていく。自分が没頭できることを知る。


型にはまるための努力をしないで本音で話せる人が現れたとき、自然にお互いに恋に落ちてパートナーができる。

ダルちゃんが詩で表現をしながら自分の「ほんとうの言葉」を得ていくにつれ、当初はぴったりと合っていたふたりの視線が少しずつずれていく。

どんどん自分を取り戻していく恋人を見てコンプレックスを直視することになる彼の苦悩も、恋人を失ってまで表現をするべきか揺れる彼女の苦悩も、とてもリアルだ。

恋人と離れ創作を選ぶダルちゃんを「自我がつよすぎる」「自分勝手だ」という意見をネット上で見かけることもあった。

それを見たとき、その意見こそが、「空気を読んで他人に合わせるべき」や「恋人がいた方がしあわせ」という型にはまってしまっている人の声なのかもしれないなと思った。


普通の人なんて
この世に一人もいないんだよ
ただの一人もいないんだよ

存在しないまぼろしを
幸福の鍵だなんて思ってはいけないよ

『ダルちゃん』より


普通でいないと生きられないから、誰かのためによろこばれるのはうれしいから、がんばって自分をつくっては自分を見失い、

自分の言葉を得て、夢中になって、表現をしたことで近くの人を傷つけてしまう。

それじゃあ、なにが、誰が自分を幸せにするのか。

その結末は、ぜひ作品を読んでみてほしい。わたしはこれ以上のハッピーエンドはないと思うし、とてもうれしかった。


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余談だけど、「ダルちゃんの友人サトウさんは、サクちゃんみたいだね」と友人に言われ、たしかにそうかも、と思った。

サトウさんは、ダルちゃんを自分の過去に照らして見て、黙っていられずに関わっていく。ダルちゃんへの怒りや悲しみは過去の自分へのそれで、だからこそうれしいことも自分のことのように一緒によろこぶことができる。

過去の自分を好きじゃなくても、こうして「いつかの自分のような誰か」のために力を貸してあげることができるのは、過去の経験のおかげだ。

「誰かのため」と「自分のため」は、両方あってはじめて良い方へ作用するし、自分の言葉を得ることができると、自分を救うだけじゃなく誰かのために使うこともできるのだ。

なんか人生っていくらでも可能性があるんだよねぇ自分で自分の可能性狭めて頑なな思い込みの中で生きてたんだなぁって私が思ってたよりずっとたくさんの道があるのかもなぁってそんな風に思った


このサトウさんの言葉を、自分へ送ろうと思う。

「これはわたしの物語だ」と思えるだろうひとりでも多くの人に届きますように!


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