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noteと意志と友達と

さっき読んだ本『過剰な二人』の中で、林真理子さんは「運命の正体は意志」だと言っていて、編集者の見城徹さんは「努力とは意志の持続」だと言っていた。


わたしには長らく意志がなかった。

困らないように優先順位を決めて行動してきたことは「意志」ではあるけど、そこにはいつも「しょうがないから」「こうするしかないから」と諦めの色が濃くあった。「こうしたい」という思いで先を見据えて動いたことがなかった。


気がつくと、ほんとは欲しくてしょうがないものも「自分にはないからしょうがない」「ないなりにどうするか」と考えるクセがついていた。そうして欲しいものを「欲しい」と言わないでいると、あたかもはじめから欲しくなかったように自らを騙すようになってしまう。


今から3年前の年末にnoteを書きはじめて、自分のことをいろんな方向から書いてみた。自分のしてきたこと、考えていることを何度も書いていると、なんだか同じことばかり言ってるなーと気がつく。

同じことばかり書いても意味がないかというとそうではなく、むしろたくさん書くことによって面が増えると多面体が球に近くなって、その中心にある核が見えてくる。

ああ、わたしはこれが大事なんだなーとわかる。


わたしの場合、核にあったものは「気が合う人に会いたい」「仲間がほしい」という思いだった。

ずっと、家族だけど別の人格だから気が合わなくてもしょうがない、たまたま同じクラスなだけで気が合う人がいなくてもしょうがない、仕事だから気が合わなくてもしょうがない、自分の性格や考え方を変えられないなら気が合う人がいなくてもしょうがない、と諦めてきたけど、本当は気が合う人に会いたい。

ずっとそう思っていたことがわかってきた。


そして、3年間noteで書いていたら、たくさんの気が合う人に会えた。


noteを書いているとき、ほぼ日の永田さんのこの言葉を何度も思い出した。

書くことはすべて自己紹介で、自己紹介が自分のサイズに過不足なくできると、気が合う人がそれに惹かれて近づいてきてくれた。


noteを書いていたら、自分の意志がうまれた。「こうしたい」と思うことが見えて、気が合う人に会いたいから、そのために、自分のために書き続けることができた。

運命の正体が意志なら、「気が合う人に会いたい」という意志をもち続けていれば、これからもきっとnoteを通してたくさんの人に会えるだろうな。


noteでいちばんのよかったことは、気が合う人に会えたこと。友達ができたこと。noteがあって本当によかったな。どうもありがとう。これからもよろしくおねがいします。

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