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2017年3月の記事一覧

『木皿泉』に見る、わたしのすきな夫婦のかたち

木皿泉という脚本家がいる。 ドラマ『すいか』『野ぶた。をプロデュース』『セクシーボイスアンドロボ』などを手がけており、『木皿泉』とは、和泉 務さんと妻鹿 年季子さんの共同ペンネームだ。 わたしはこの脚本家のドラマがだいすきで、書いたのはいったいどんな人なんだろうと思っていた。のちに発売されたエッセイ『二度寝で番茶』でおふたりが夫婦だと知った。和泉さんは2004年に脳出血を煩い、妻鹿さんは2007年にうつ病を発症され、その年にご結婚されたというので驚いた。(当時、和泉さん5

アッコにおまかせしない −「仕事って何だろう」の途中で見えたもの報告

こどものころから「こうしたらいいのに」「なんでこうしないんだろう」という(うるさい)目線をもっていた。同時に、全体を把握できないと一部として動くことができなかった。「つまりこれはなんなんだ」とわかりたい気持ちがいつもあった。 おとなになってもそれは変わらず、自分が関わる仕事に対して「こうしたほうがもっとよくなるね」と思うと即行動した。結果的に、わたしは役には立ったのだと思う。いると便利だったと思う。だけど、感謝されていたかというとその実感はあまりない。なぜなら、誰にも頼まれ

何年たっても「じぶんのリーダーは、じぶんです」だよねという話

「毎年、3月11日になると『あのとき、何してた?』って話になるじゃないですか」 数年前の3月11日、喫茶店である女の子がそう話しだした。 「すごくたくさんの人が亡くなったし、大変な状況すぎて情報も心も追いつかないけど、わたしもショックをうけてはいたんですよ」 チラリとこちらを見て、フッと小さく息を吐いて彼女は続けた。 「当時はひとに言えなかったんですけど、わたしがあの時いちばんショックだったのって、震災が起こった日に誰からも『大丈夫?』っていう連絡がなかったことなんで

「分人主義」は、中学生の必須科目にしたらいいと思う。

平野啓一郎『私とは何か 「個人」から「分人」へ』を読んだ。本の感想や紹介は苦手なので、読んだときの心の動きを、アホみたいにそのままお見せしよう。 「個人」を、さらに分けて「分人」という単位で自分というものを見て、人間関係を考える。ふむ。 一人の人間は、複数の分人のネットワークであり、そこには「本当の自分」という中心はない。 コミュニケーションは他者との共同作業である。会話の内容や口調、気分など、すべては相互作用の中で決定されてゆく。 つまり、人によって態度がちがうのは