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三人兄妹の末っ子☆のほほんと生きてきました。

三人兄妹の末っ子です。

5歳上の姉、3歳上の兄、そして私。

姉と兄は2歳差だけれど、私は3歳差なんだなと小さい頃思いました。


姉と兄は頭が良くて、私は普通(笑)。

親には「勉強しなさい」と言われたことが無かったから、

私はよく友達に「私は末っ子だから、親は放任主義なんだよ」と

言っていました。

そして頭の良い姉と兄と同じように、

自分もそうなんだろうと勘違いしていたようで

二人が努力してきたことには気が付かず、

私は特に努力をしてきませんでした。


母は一人でどんどん突き進むマイペースな人で、

夏祭りなどの人混みの中を、一体どこを目指しているのか

出店もろくに見ずにどんどん進んでいく。

父と姉、兄は、良さそうな出店があると立ち止まり、

よくガラス細工やりんご飴を買ってもらいました。

でも母が先にどんどん一人で行ってしまうし、

あとの三人はゆっくり歩いているしで、

私は心配で心配で仕方なく、

どちらも迷子にならないように、

ちょうど中間を一人で歩いていました。

携帯電話もない時代。

私が真ん中を歩かないと!といつも思ってました。


父と私は、私が小さい頃から趣味が似ていて、子供ながらに父とは感性が合うなぁといつも思っていました。

それもあってか、私は父からとても信頼されていました。


クリスマスプレゼントはいつも私が一番高いものを買ってもらっていました。

ズルいとよく姉が怒っていました。私は母への頼み方が上手かったのです。

母は裁縫が好きなので、ある年、私はクリスマスプレゼントに「おりひめ」

という織り機を買ってもらいました。

子供向けにしてはかなり本格的なもので、値段も高かったけれど、

裁縫好きの母ならきっとOKしてくれるだろうと思ったのです。

学校でやってるからと、一輪車を買ってもらった年もありました。


姉は奨学金をもらって国公立の短大へ進みました。

兄もこの町イチの進学校に行ったけれど、大学へは進学せず、

その代わりその進学校からの枠がある、大企業に就職しました。
(ただ高卒の為、給料は大卒とは比べ物にならないそうです・・・)

私は心理学を学びたかったので、推薦で行ける私立のお嬢様短大と呼ばれる片道2時間もかかるところへ行きました。


ずいぶん大人になってから、

姉から、私の短大の入学金はほとんど兄が出したものだと聞きました。

全然知りませんでした。

兄とは仲が良いけれど、そんなことは一言も私に言いませんでした。

ただ、兄は母とよく口喧嘩をしていて、ある時

「俺は本当は大学に行きたかったけど、家にお金がないから諦めたんや」と

怒っているのを見て、初めて兄の気持ちを知りました。

私はてっきり、大学になんて興味がなくて、バンドをやりたいから、

さっさと就職したのかと本気でそう思っていました。


毎日、食卓にはたくさんの料理が並び、

私が高校の時にはマイホームも建ちました。

決してお金持ちではないけれど、

それでも不自由な思いをしたことはなかったので、

兄のその言葉を聞いたとき、

私は随分無理をさせていたのだなと初めて気が付きました。


私は初めての妊娠では初期流産を起こしました。

初期流産の確率は実は結構高いようで、本人でさえ気が付かないこともあるそうです。

なので、それほど大騒ぎする事ではないのですが、

私はもう妊娠を、両親に報告した後だったので、

悲しませるのが辛くて、父にはとても言えそうにないので、

いない時に、母と姉に涙ながらに報告しました。

すると母が、

「まあ、まだ初期だから良いじゃない。私は6ヶ月で流産したからね。」

と慰めるように笑って言いました。

!!!そんなことは初耳でした。

いや、小さい頃、たった一度だけ父が、

私と兄の間には本当はもう一人いたと言ったけれど、

その時は確か母に確認したら「いないよ」みたいに言った気がするので

それ以来、全然気にしていませんでした。

6か月と言ったら、もうだいぶお腹も大きい頃。

周りの方から、祝福され、心待ちにされ・・・。

兄はまだ赤ちゃんだろうけれど、

父と姉は楽しみにしていたはず。

そして姉はその朝の出来事を今も覚えているそう。

布団が赤く染まっているのに、

「お母さんは歯が痛いから歯医者に行く」と聞かされたそうです。

母と姉からその話を聞き、

私はその晩、布団の中で、自分が流産したことよりも、

母がその時どんな気持ちだったのかを思い、泣きました。

普段の脳天気な母からは、到底想像もできないような悲しみ。

この時から、私は人には

わざわざ人には言わないだけで、誰もが

何かしらの悲しみを抱えて生きていることを知りました。


父はいつも私の味方でいてくれ、

母はいつも楽しいものだけを見せてくれた。


悲しみは姉が背負ってくれ、

悔しさは兄が背負ってくれていた。


末っ子の私は、放任どころか、

家族みんなの愛をたっぷりもらって生きてきた。

きっと、家族みんなが私の誕生を心待ちにしていてくれた。

そして私は、

そう、のほほんと、自分の好きな事ばかりをしてきました。

初めて私にも赤ちゃんが産まれ、夜中に小さな小さな娘を眺めながら

ああ私はきちんと愛されて育ってきたんだなぁと実感しました。

この小さな赤ん坊は誰かが抱いてやらなければ、

誰かが栄養をあげなければ生きていけない。

決して一人では生きていけないという事。

今、生きているという事自体が、誰かに愛された証。


私はこれから家族にどんな恩返しが出来るだろうか。


それはやっぱり、

相変わらずのほほんと、

幸せに生きること。

かもしれない。



さり気なく入れておこう(笑)


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