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山登り人生VOL435日本百名山36座目塩見岳その5

1969年9月23日から記録を執り始めた山日記をブログで振り返っています。ブログは2021年9月1日から始め3周年を迎えました。
このシリーズ「山登り人生」は、2023年3月29日から始めています。

44歳頃の山登りです。
平成5年度の山行は26回延べ48日と
前年度比7回・8日増と年々増加していた。

昨年夏の上信越ツアー、今年春の東北ツアーに続いて
南アルプス北岳等の踏破を目論み
一日目に三伏峠に入り
二日目塩見岳を踏破して長い長い縦走で熊の平小屋に到着です。
三日目、間ノ岳、北岳縦走は風雨強く断念となりました。

No567夏山合宿南アルプス両俣小屋へ退却

平成5年8月11~16日
M社長、I君、Y女史と私

11日佐世保出発
12日鹿塩温泉⇒塩川小屋11:50→三伏峠入山(幕営)
13日36座目塩見岳を踏破し、熊の平小屋までの長い縦走
14日出発7:00→大雨で北岳は断念→8:30三峰岳2,999m→野呂川越10:50→
  11:30両俣小屋へ退却 夕食6:00 1泊2食6,000円

二日かかりで山のど真ん中に入って来て、
三日目の朝、
熊の平小屋テント場で激しい雨音を聞きながら今日の予定を考えた。
この二日間かなりの行程で停滞休養するのも良い。
お花畑に囲まれ木の香漂う立派な熊の平小屋で
ビールを飲み一日潰すのも粋である。

しかし明日の天気もはっきりしない。
回復しないなら間ノ岳、北岳を越えて下ることになる。
日程的にどうか等、シュラフカバーの温もりの中で考え込んでしまった。

起床時間となったが雨は止みそうにもなく、そのまま寝込んだ。
昨日までの疲れを癒し明るくなるのを待った。

しびれを切らしたI君は、入口でタバコに火を点けた。
朝の一服は美味しいに違いない。
M社長もいつまでも寝ておられないとゴソゴソと動き始めた。

先に進むには8時間、後戻りは11時間、
「どうすりゃいいのさ思案橋」そんな心境である。
情報収集で小屋を覗いた。予定が狂った登山者で一杯である。

熊の平小屋

塩見岳に向かうパーティーは稜線まで登っての様子見、
どうなるか心配しながら見送った。
間ノ岳に向かうパーティーは皆無である。

「停滞しても先が見通せない。」と動くパーティーも多く、
話を聞くと間ノ岳手前の三峰岳から野呂川越に下ると言う。
エスケープすると百名山二座が心残りであるが、
この雨風では危険だと決断しテントに戻った。

朝食の準備にかかると
ガソリンコンロのバルブピンが折れ使用不能になった。
スペアコンロもなく、いよいよ撤退せよとの天命である。

時折、激しい風雨の中をテント撤収し出発した。
この周辺はお花畑である。
花畑を過ぎハイマツ帯を登ると平坦な三国平、強風が遠慮なく吹き付ける。農鳥岳へのトラバースルート分岐である。

森林限界を越え風は直接襲って来る。
ちょっとした休憩でも体が冷えてくる。
10年使用している私の雨具では十分には凌げず、既に下着まで濡れている。予期していたので内側からビニールを被っていたが効果はなかった。

急な登りとなり狭い三峰岳に辿り着いた。
先は見えないが、
あと高度差190mで間ノ岳と心は揺れるが、
弱くならない強風に打ち消される。

晴れた日の三峰岳への登り。ネットより
三峰岳山頂。背後は間ノ岳か。ネットより
昨日歩いた塩見岳への山なみ。晴れていれば三峰岳からはこんな眺め(ネット寄り)

山頂を間ノ岳側に少し下り進路を北に取った。エスケープである。
吹き上げる風に向かいながら急な岩場を下る。

三峰岳を振り返る。

樹林帯に入ってからが長く2時間以上もかかって野呂川越に到着した。

後は両俣小屋まで川のようになった急な道を下る。
約30分で到着した。
小屋で尋ねると野呂川出合のバス停まで3時間半、
今からでは最終バス14:27に間に合いそうにもない。

コンロも使えず予期せぬ小屋泊りとなった。
エスケープしたパーティーで夕方には小屋は登山者で溢れた。

二階の布団敷部屋に案内され
着替えたり濡れたものを指定の場所に干したりして少し落ち着いた。
残り少ないウィスキーをいただいた。
酔いも回り寝込んでいると「九州の人、食事ですよ。」と声が掛かった。
食堂は一杯、
ご飯と味噌汁をお代わりしお腹を満たすと
睡魔が襲って早々にお休みとなった。

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