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山登り人生vol94会報山なみの発行

28歳。長女2歳、長男1歳。
ヨーロッパアルプス遠征が終わり
迎えた正月は冬山には出掛けませんでした。
この機会を生かし会報「山なみ」の発行を実現しました。

記録を書き残す


山登りで大切なのは記録を残すことと先輩から指導を受けていました。
どんなビッククライミングでも登頂を証明するものがなければ、
登頂は認知されないことも過去の出来事から知っていました。
こんな大きな話ではないが、
所属していた会の記録はどうなっているのか調べてみました。

最初の刷り物

1958年6月ガリ版印刷B5判での「月報」です。
1953年会が発足して5年後に発行され
1962年のNo18まで続いています。

本格的な印刷物としては
「機関紙山なみ」創刊号(A5判61頁)が1959年8月に発行されました。

巻頭言で初代Y会長は、
「・・・(前略) ・・・今、会報を出そうということになったが、
これも会員の努力の結果であり、会の成長の現れの一つで、内に蓄積されたもののほとばしりである。・・・(中略)・・・。
種を蒔き、培っていただいた人々は去られたが、その一粒の種は会報という形で花が咲き実を結ぶ時が来た。・・・(略))
とで述べています。

その後は継続的に出版されることはなく時が過ぎ、
私らの入会で活動の充実と共に山行報告など
記録を残すことの必要性が確認され、
ガリ版刷りの印刷物が時折出版されるようになっていました。

山なみ2号の発行

一発奮起して機関紙「山なみ」第2号を発行しようと
年末年始の大山合宿に参加できなかった会員に呼びかけ
6名がY会長宅に集まりました。
一気にまとめ上げ1977年1月例会には配布することができました。

山なみ2号の表紙
山なみ2号より
山なみ2号より

以後、毎月一回発行できました。
謄写版でのガリ切りや、2行しか表示できないワープロでの原稿作成や自宅居間一杯に広げての印刷製本作業など懐かしい。
11年間はその役を務め後任に引き継いだのが1988年10月でした。

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