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山登り人生VOL231初の屋久島行その2永田岳ビバーク

私34歳。奥様33歳、長女9歳、長男7歳、次男3歳.
家新築入居も落ち着き、長女は小学4年生、長男は同2年生となり、
次男は幼稚園に通い始めた昭和58年度の山行は
32回、49日と回数日数とも大きく増加しました。
念願の屋久島に向かったが、
二日目夕は台湾坊主の寒冷前線通過で痛い目に遭った。 

No346屋久島(宮之浦岳∼永田岳∼黒味岳∼) 


昭和58年4月29日∼5月4日
T女史と私

行程

4/29 佐世保出発
4/30 屋久島に渡る。
   鹿児島港8:00フェリー2,400円⇒宮之浦港12:10タクシー2,350円
   ⇒13:10白谷雲水峡13:55→15:30白谷山荘(素泊り800円)
5/01 出発6:10→辻峠6:45→小杉谷7:30→大株歩道分岐8:55→ウィルソン株
   →縄文杉11:20→高塚小屋11:30→15:30永田岳分岐直下(ビバーク)

5/02 永田岳・宮之浦岳・黒味岳から淀川小屋へ
5/03 屋久杉ランドに下山し湯泊の平内海中温泉へ
5/04 宮之浦港に戻り屋久島とお別れ。帰路、紫尾山に立ち寄る。 

30日屋久島上陸、白谷山荘泊り

30日鹿児島を8時のフェリーで出航し、
約4時間上屋久島町の中心宮之浦港に到着した。
早速タクシーを拾って標高約610m、約13km先の白谷雲水峡まで走った。

白谷雲水峡の吊橋

船中で食べられなかったおにぎりを食べ歩き始めた。
ロスタイムもあって約1時間半で町営の白谷山荘に到着した。
小杉谷まで下っても小屋もなく、
身体の調子も今一で予定変更で山荘泊りとした。
寝る場所に水もあり炊事もでき至って便利な山荘であった。

最近の白谷小屋前

1日大株歩道、永田岳分岐直下にビバーク

昨日12時の天気図でかんばしくないと予想していた。
辻峠まで約半時間、苔むした登山道が続く。
水は至る所で得られるが、幕営するには湿気が多く、ガイドブックでの適地も快適とはいかないようだ。

辻峠から高度差約250mを小杉谷に下って、
荒川より延びている軌道に出る。
前岳を越え奥岳の麓に入ったことになる。
安房川に沿って軌道を歩くが、長いのには閉口した。
途中、三代杉などあったが大自然の中の軌道は興味が半減する。

三代杉

軌道を離れ大株歩道と呼ばれるコースに入ると一変に縄文の世界である。
ウィルソン株、大王杉、夫婦杉、縄文杉(樹齢約5,000年・根廻り43m)と、
ただ驚くだけの屋久杉が点在している。

ウィルソン株前
ウィルソン株内部
ウィルソン株
大王杉
夫婦杉
縄文杉。現在は近くまで立入できません。
当時は世界遺産登録前でした

高塚小屋まで登ると尾根コースとなる。
樹相も変化してくる。
どうにか持っていた天気も完全に崩れて来た。

第一、第二展望台と高度を増すにつれ、風雨も強まって来た。
屋久島の雨粒は大きいと聞いていたが、確かに大きかった。
「稜線は歩けない。」「永田小屋は満員で行ってもダメだ。」とか
「頑張って行ったら」とか
マチマチの情報が下山者、退却者より入って来る。
平石を過ぎると背が低いヤクザサとなり、風雨を避けるものがない。

雨具の下は綿の下着で寒さを感じて来た。
永田小屋まで行こうと思っていたが、
大勢の登山者が一度に下山・退避して来て「もうダメです。」と言う。
昨夜の天気図と今の状況が嚙み合わない。
何故だろう。
自問自答しながら登っていた私だが、こうなったら前には進めないようだ。

ツェルトテントなので樹林帯まで約1時間退却するか考えたが、
まずザックを降ろし場所を探した。
2~3パーティーは風が荒れるコルに張っていたが、
ツェルトでは無理もできず、
斜面に廻り込んで低木の中に場所を見つけ、
埋め込むように張り終えた。

2日朝のビバーク場所付近。背後は永田岳

居心地は全く悪く、テント内でも雨具を脱ぐことが出来なかった。
強い風圧でEPIガスコンロの火が時折消える。
心配そうなT女史。
「高塚小屋に居たらね。今夜は寝られそうにない。」とボヤく。
「大丈夫!大丈夫!」と励ましてはいたが、
担ぎ上げたビールは飲む気分にはなれなかった。
炊事もできない状態が続き、行動食でも食べようと話していた。
こんな時、小さなランタンの灯だけは風にも消えず、
私達二人を暖かく照らしてくれた。
小さな装備だけど、
ローソクだけでは用を足さなかったと思うと有難かった。

知らぬ間に雨は止んでいた。
ツェルトも屋根の方は乾いている。
夕食もご飯を作ることができ安堵感が漂った。
18時現在の天気図を執ると、寒冷前線が通過していた。
丁度ツェルトを張る頃が屋久島付近で、最悪だったのである。

とにかく、安心して眠ることができた。

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