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山登り人生VOL385冬山合宿(大山主稜北東の山々) 

1969年9月23日から記録を執り始めた山日記をブログで振り返っています。ブログは2021年9月1日から始め2年10カ月、
このシリーズ「山登り人生」は一年経ちました。

41歳頃の山登りです。
平成2年度は山行回数23回、延べ日数44日と
前年度比8回・6日増え月2回ペースの山行になっています。
県体も終わり普通の山登りに戻りました。

冬山に向けたトレーニングも始まり大山周辺の山で計画がすすみました。 

No520黒髪山系(冬山トレ) 


平成2年11月25日 Mと新人Y女史と私
竜門9:40→後の平→天童岩10:30→見返峠11:25→青螺山12:30→竜門13:20
⇒日宇金剛園
膝が気になり、そう荷物は増やせない。
18kgのボッカ。
F君は親父さんの交通事故、
K君は眼球焦点がずれているとかで、二人の冬山合宿は無理になった。
三人でのボッカとなった。

12月2日鹿町パールマラソン 長男中3年生5㎞8位、次男小5年生2㎞
12月3日義父 脳梗塞で入院

No521黒髪山系(冬山トレ) 

平成2年12月16日 Mと新人Y女史・I君と私
越の峠10:00→牧の山12:00→越の峠→腰岳14:00→15:00越の峠⇒日宇金剛園
久し振り二重靴でのアイゼンボッカ。
今日はザイルワーク、アイゼンワークを中心に行う。
いつもの様に日宇金剛園で反省会。
新人I君は半年前に離婚し子供二人も手放したらしい。
これ以上話は聞かなくてもいいのだが、酒の肴になっていた。

別の日の写真

 12月23日 副会長 大野禎一郎83歳 逝去

No522冬山合宿(大山主稜北東の山々) 

平成2年12月30日∼1月3日 Mと新人Y女史・I君と私

12/30佐世保17:00⇒
12/31伯耆大山駅1:30(幕営)5:50⇒JR乗車⇒赤埼駅6:20⇒(タクシー)⇒
   少年自然の家登山口→船上山7:40→船上神社9:30→
   勝田ケ山13:45→14:20幕営
01/01起床6:00 出発7:55→甲ケ山9:50→小矢筈ケ山岩場10:20→
   矢筈ケ山14:10→15:40大休峠
01/02起床5:00 再起床7:00 出発7:55→大休峠9:25→川床11:10→
   13:00下山キャンプ場
01/03出発10:15バス米子駅⇒伯耆大山駅(車)⇒13:00皆生温泉14:00⇒
   21:50佐世保 

新人二人が参加し久し振りの大山((周辺)である。
今回の合宿は初めて挑戦する山だ。
大山の主稜から北に約10km、
船上少年自然の家がスタート(標高260m)、
これより船上山687m、勝田ケ山1149m、甲ケ山キノエガセン1338m、矢筈ケ山1359m、大休峠1120m、野田ケ山1344m、振子ケ山1344m、ユートピア1550mと南下する山塊を縦走する。

無雪期の勝田ケ山と右に大山大山。ネットより。 

30日深夜、あわや天国へ。
中国山脈越えで凍結、車スリップ。
Mが運転、車は回転しガードレールの吹き溜まりで止まった。
我々は寝ていたので何が起きたか分からなかった。
車は何とか自走できた。
伯耆大山駅まで予定とおり走り駅舎内にテントを張り仮眠した。

31日汽車に乗り赤碕駅に移動する。
船上少年自然の家までタクシー利用して登山開始。
登山口では雪は全くなかった。

スタートは皆気が重い。
車道を横切り山道に入ると雪も現れて獣の足跡が導いてくれた。
三角点616mで傾斜はゆるくなり、積雪は多くなる。
溶岩台地に出たのだ。寺坊が点在するのが頷ける地形だ。
船上神社を過ぎた辺りからワカンを着けた。

この付近で10㎝程埋まる。
トップの苦労を皆に経験させるため交代で進む。
三角点941mで枝尾根が合流、遠くに大山が望めるようになった。
北西の風をまともに受ける場所だが、今日は風がない。
勝田ケ山の登りは所々急でトップは苦しい。
三角点を過ぎ頂稜部に出ると、
今まではっきりしなかった甲ケ山を確認した。
この頃から雨が降り出し、テン場が気になり始めた。
ルート上には張ることができず稜線下を整地してテントを張った。

終日ワカンで歩くのは初めての経験で、ボッカ縦走の苦しい一日となった。I君はつらそう。Y女史は強い。
天気は下り坂、注意報も出ている。 

1日新年のスタートは朝寝坊から始まった。
その遅れもI君のスローペースである。
甲ケ山からの岩場は最大の難所だった。

左烏ケ山、右大山
左甲ケ山?、右小矢筈ケ山? はっきりしません。

ワカンからアイゼンへ。ザイルワークなどモタモタする二人にハッパを掛けながら緊張する場面が続いた。

水平岩稜、岩場下降、トラバースあり、ブッシュの巻き道ありで思わぬ時間が過ぎてしまった。
投稿にあたり検索した無雪期の写真があり添付します。以下3枚

甲ケ山手前のゴジラの背。当時の記憶は全くなく雪に覆われていたのでしょう。
甲ケ山の下り。当時は雪の斜面でした。上3枚目の写真

ガスの中から雨が降り出した。
岩場が終わりアイゼンからワカンへ。
P1300mから急な下り。
雨が本降りとなり心配したが、静かな佇まいの大休峠避難小屋に到着した。小屋泊まりとした。

どこかの山頂

しごかれた一日であったが、
車事故も一時的に忘れさせる満足な一日となった。
ビール3缶、ウィスキー少々では楽しい夜は短く終わった。

2日朝、雨。
2時間様子見るも止みそうになく野田ケ山~振子山~ユートピア~大山寺の予定を中止して、川床に逃げることにした。
雨具を持参しなかったMと私、
雨具不備のI君とびしょ濡れになり、
気温は高く辛くはなかったが正に敗残兵である。

下山キャンプ場に着く頃には冷え込んできた。
スキーヤーは雨の中でも頑張っている。
M社長と合流、最後の夜は大いに盛り上がった。

 3日霧氷の世界に変わっていた。山は荒れているようだ。

大山寺

バスと汽車で伯耆大山駅に戻り
皆生温泉で四日振りに汗を流し帰路に着いた。

後日、車修理代は262,620円となり大きな出費となった。

※1月7日湾岸戦争始まる。

 

 

 

 

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