見出し画像

山登り人生vol159背広から登山服、初の木曽駒ヶ岳

私31歳。奥様30歳、長女5歳、長男4歳、次男0歳。
昭和54年度、30代の始まりはヒマラヤ遠征断念から始まりました。
年間14回33日の入山と回数は大きく減少しました。
次男も四カ月子守りが忙しくなり、
ビックな山行はできなくなりました。
職場の視察研修だったのでしょう。
静岡県豊岡村への出張の機会を逃しませんでした。

No278木曽駒ケ岳(千畳敷∼駒ケ岳往復)

昭和55年3月14~15日 単独
 
14日(吹雪)天竜峡5:40(汽車)⇒7:00駒ヶ根駅8:00(バス660円)⇒
      しらび平1,666m9:00(ロープェイ1,500円)⇒9:10千畳敷 
     停滞-6度    積雪280cm
     山荘泊り1泊2食3,500円
15日(晴れ強風)
  出発8:00→宝剣山荘9:10→駒ヶ岳山頂9:40→宝剣山荘10:10→10:40千畳敷 
       山荘11:20⇒しらび平11:30⇒12:30駒ヶ根駅13:27(中央道・
       高速バス)⇒16:35名古屋

天竜川下流の小さな村静岡県豊岡村に出張することになり、
この機会を逃さず休暇を取り山に登ることにした。
南アルプスは短い期間では無理と判り、
中央アルプスの木曽駒ヶ岳を見つけた。
深田久弥著書「日本百名山」12座目の山である。

千畳敷のカール

13日昼過ぎには国鉄飯田線で伊那谷に向かっていた。
駒ヶ根駅到着は遅くなりそうで
手前の天竜峡駅で下車し14日朝一番の汽車で発つことにした。

14日朝5時40分の天竜峡駅は静かで町全体が底冷えしている。
時折通る車は全てスパイクタイヤで、やはり信州雪国の町を感じる。
花にはまだ早いリンゴ園の車窓の景色に見とれながら駒ヶ根駅に到着。
バスも始発でいらび平に向かった。
駒ヶ根高原を過ぎると専用道路となり
道幅も狭く九十九折りに斜面を登るようになる。
積雪で路肩がはっきりしない箇所や
ルンゼの横断では大丈夫かと心配になる。
このバスは無線を装備しており、
途中3回本社と交信し道路状況を報告していた。

乗客は山荘主人と従業員、スキー客3人と私の6名で、
バスを降りると全員ロープウェイで千畳敷に上がった。
標高差1,000mを6分で、
駒ヶ根駅からは1時間10分で3,000m級の山懐に飛び込んでしまう。

天竜峡を早立ちした甲斐もなく、外は猛烈な吹雪。
これだけ吹雪くと諦めが着く。
直ぐ山荘宿泊の手続きをして、のんびり一日過ごすことにした。
 
16日、6時10分
南アルプス仙丈ヶ岳方向から素晴らしい朝日が昇ってきた。
富士山がくっきりと浮かび上がり、背後の宝剣山はモルゲンロートに輝き、乱舞する雪煙が手招きしている。
昨夜泊まったのは私と素泊まり客2人。
明石高専の学生で卒業記念の登山のようだ。
私の朝食が済むのを待って一緒に行こうと言って来た。
天気は快晴になったものの風は収まらない。
オーバーズボン、ウィンドヤッケを着込んで出発する。
千畳敷カール上部をトラバースし、宝剣山を見上げながら進む。

昨夜の新雪は30cm程。ラビーネンツークでは雪崩を気にしながら。
斜面の新雪は強風に吹き下ろされ心配は和らいだ。
膝ぐらいのラッセルであるが雪は軽く、新雪の感触が伝わって来る。
次第に雪面がクラストしてきた。いよいよ稜線へルンゼを詰める。
風の通り道は地吹雪となり、顔を上げれない。
時々耐風姿勢で風の息を待つ。約1時間で宝剣山荘に着いた。

稜線の風は一段と強く、また寒気を伴って襲ってきた。
木曽側は完全に氷結している。
中岳は木曽側はトラバースせず稜線を忠実に辿る。
アイゼンの声がする。
キュッキュッウカリィカリィ、久しぶりの鳴き声である。
千畳敷山荘から1時間30分、木曽駒ヶ岳山頂に到着した。

木曽駒ヶ岳山頂

山頂からの展望が素晴らしい。

山頂より御岳山を望む
山頂より空木岳方面を望む
山頂より八ケ岳方面を望む

正月皆が登った八ケ岳から南アルプス、富士山。直ぐ南に空木岳、南駒ヶ岳、西には御岳山と360度の大パノラマが展開している。
帰りは往路を引き返したが、宝剣山は強風のため断念した。
稜線からの下りも風とのバランスがとりにくく時々山向きになって下る。
往復2時間30分のスピード登山であった。
登山服から背広に着替えて山荘をチェックアウト。
駒ヶ根駅からは高速バスで名古屋に出た。
景色も良いし料金的にも時間的のも格安で便利であった。
今年は春山も行けないと寂しい思いであったが、
この山行でいくらか落ち着いた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?