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山登り人生vol172雷山∼背振山交差縦走その2


私31歳。奥様31歳、長女6歳、長男5歳、次男1歳
海外登山、岩登り・冬山合宿など
遠方での山行が無くなった昭和55年度を振り返えっています。
ホームグラウンド(黒髪・多良山系)がメインでしたが、
佐賀・福岡県境の背振山系の縦走に出掛けました。
ボッカ組は長野峠から、年長組は背振山からスタートし、交差縦走しようと言う山行でした。
その1で概要を昨日10月28日投稿しており

ここではボッカ組の行動を投稿します。

 No298雷山∼三瀬峠~背振山(ボッカ組)


昭和56年3月21~22日
ボッカ組:5名(私ほか)

行動記録

21日佐世保9:00⇒長野峠11:10→雷山12:50→井原山14:30→16:30三瀬峠
        (年長組と合流)17:30⇒18:00古湯温泉(町営温泉センター素泊まり)
22日出発8:00⇒三瀬峠8:30→城ノ山9:00→金山10:10(小爪峠先で交差)→
       猟師岩11:30→椎原峠12:10→背振山13:50⇒14:40
       (15:20年長組と合流) 15:45⇒18:00佐世保

21日20kg負荷で長野峠を出発しました。

雷山方面は雲に隠れています。
交差縦走でなければ引き返すのだがと言いながら歩きます。
昼からは回復するとの予報に期待して進みますが、
雷山スキー場では強い雨風で身体が振られます。
山頂でも回復しません。
縦走路には雨風を防ぐ場所はなく、雨に打たれながらの昼食となりました。
谷筋には残雪があります。
井原山までは早く感じましたが、
三瀬峠まではコースが荒れており、
小さな登り下りが多く、長く感じました。
金山での合流時間16時が近まり、年長組の動きが気になります。
この雨の中、歩いているのだろうか?
もう金山に着いているはずだ。
彼らのテントはこちらが持っていると心配になった。

三瀬峠、ネットより

「いや中止して三瀬峠で待っているよ。」と期待を持った。
三瀬峠が近くなった所で、舗装道が稜線を横切り、さあどうする。
地図とにらめっこしてもハッキリしない。
福岡県側を進むと東に延びており安心する。
すると5分もしないでN長老の車が見えて来た。
本当に肩の荷が降りた。
彼らも待ちくたびれたようで、鍵を受取り直ぐ長野峠に向かってくれた。
車が戻る間、暖をとりラーメンを食べ腹ごしらえした。
今日中に佐世保に帰ろうと衆議一決した。

ネットより。当時は不明

ところが皆集結すると「明日は天気回復。風呂でも入って考えよう。」との長老の言葉に、古湯温泉に向かいました。
とにかくいつもの町営温泉センターで身体を温めた。
K君の交渉で素泊まり一人1,000円で妥結し
2階大広間での夕食となり反省会となった。

金山を望む

22日素晴らしい天気となった。

交差縦走を継続した。
ボッカ組は三瀬峠へ。
年長組は背振山頂に再び移動した。
ボッカ組も軽装とした。
昨日までと違って金山~背振山間は九州自然歩道でよく整備されていた。
小爪峠の先で年長組と交差し鍵を交換した。
鬼ガ鼻岩では老クライマーに「元気ですね。」と声を掛け縦走を続ける。
岩あり、花ありで展望も良く楽しんだ。
背振山頂では家族連れ、老夫婦、アベックと春の一日を楽しんでいた。

当時、背振山頂

全コースを歩けたことに満足し、合流地の北山ダムに向かった。
反省点は多かった。
・スペアキーの交換
・トランシーバー役立たず
・共同装備は各組で
・行動変更の難しさ・・・。

北山ダム湖畔、ネットより

こんな形での交差縦走は最初で最後の山行でした。
これからもないでしょう。

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