新型コロナウイルスについて思うところ
コロナウイルスって言うのは別に特殊な存在じゃなくて、大昔から普通に存在するウイルスで、まあ一般には、風邪の原因の一つだった。
今回問題になったいわゆる「武漢発祥新型コロナウイルス」こと、SARS-CoV-2は、RNAの解析によって、どうも天然自然に発生したとは思えない強毒性を持ったウイルスだと言われている。
とは言っても、実は感染力はノロウイルスの方がよほど強いし、毒性は「コロナとしては強毒だけど、感染症を起こす病原としてはさほど強くない」とも言われ、結局の所、世界中の専門家をして「よく分からない」といわさしめて居る。
結局、人々が新型コロナウイルスを恐れる最も大きな理由は「よく分からない」と専門家が言わざるを得ないこの現状のせい、というのが大きいのではないかと思う。
例えば、北海道大学の西浦博教授(統計学的疫学者)によると、一人の人間の他者との接触を8割減らすことで感染係数を1以下にすることが出来、結果としてコロナ感染の拡大を終息させられる。とする立場を表明しています。
一方、ウイルス感染の研究者である京都大学の宮沢孝幸准教授によると、コロナの感染は個人個人が正しい知識を持ち、自分も含めすべてのものがすでにコロナに汚染されているのだという認識を持ち、他人からウイルスをもらわない、自分がウイルスをまき散らさない対策を取ることで、結果として感染係数を1以下に抑えよう、という姿勢を打ち出しています。
西浦教授の策が社会システムの抑制による封じ込めだとすると、宮沢准教授の策は、人間一人一人の意識改革によって「そもそもコロナをもらわないようにしよう」という封じ込め策といえます。
この両者の策は、どちらもコロナを封じるための献策ですが、圧倒的に違うものがあります。
そう、コストです。
西浦教授の策でいくと、日本政府、企業、個人商店、労働者が支払うコストは想像を絶する規模に至ります。
一説には、この状況で日本が失う経済指標は、GDPベースで前年比25%とも言われています。
GDPマイナス25%とは穏やかではありません。四分の一のお金(あるいは経済価値)が蒸発して消えるわけです。
だから、京都大学の社会システム学の教授である藤井聡氏のように、コロナが若年層に比較的無害である点に着目し、システムとして、
「50歳代以下の若年層のコロナ重篤死亡率を1とした際、60歳代以上は30倍以上、80歳以上に限定すると50倍弱の死亡率」
という事実に着目。この世代を手厚く保護、危険から隔離することによって、社会の仕組みを、経済活動を徐々に回復すべきだ、という意見が出始めているわけです。
【宮沢孝幸×藤井聡】コロナ対談第2部:我々は新型コロナからは逃げられない〜知識と胆力さえあれば「封鎖」は必要なし〜(京都大学レジリエンス実践ユニット)
新型コロナについては、現状はほとんど知見が得られていないという恐怖が日本を活動停止に追い込んでいる。
しかし、もうそろそろ、私たちは判断を下す必要があるのではないか?
メメント・モリ。死を思え。
急激に私たちの日常に突きつけられた死に慌てふためくのはやめにして、正気を取り戻さねばならないタイミングが来つつあるのではないか?
私たち日本人には、幸いにして「正気を維持するのに必要な情報が隠匿されていない」という強みがあります。
是非、悲観せず、この状況下ですが情報を集めましょう。
ある朝、起きたら世界の姿がすっかり変わっていました。 漂流しつつある世界に、何事かをのこしつつ。