コロナの抗体検査を疑え

式村比呂です。

今世間の関心を集める抗体検査キット。
自分が感染したか知りたいという欲求はよく分かりますが、これほど高額なキットなのに、その検査精度を疑う専門家が少ないことは大問題です。

神戸の抗体検査

 神戸市民の約4万1千人に新型コロナウイルスの感染歴があると試算した神戸市立医療センター中央市民病院(同市中央区)で3日、木原康樹院長が神戸新聞社の取材に応じた。PCR検査による感染者数の約600倍に相当。この試算を基にすれば死亡率や重症化率はかなり低くなり、木原院長は「緊急事態宣言の解除時期や方法に一石を投じるデータではないか」と語った。
 同病院は、一般外来患者千人(救急や発熱外来を除く)から、別の検査目的で3月31日~4月7日に採取していた血液の抗体を調査。男性489人中16人、女性511人中17人が陽性で、全体の3・3%だった。年齢、性別を考慮して神戸市の人口に換算すると、4万999人に感染歴があることを示し、4月7日時点で同病院が把握していたPCR検査による感染者69人の594倍になる。
 検査対象が患者であるため、健康な市民と比べるには偏りがあるとしても、PCR検査と顕著に違う。木原院長は「5月2日時点の神戸の感染者は260人。試算の4万人超とは隔たりがあり、非常に驚いた」とし、知らない間に抗体ができた人もいると考える。

神戸の抗体検査について、問題点を考える。

方法:
 2020年3月31日~4月7日に神戸市立医療センター中央市民病院の外来を受診した患者の1000検体を用いてSARS-CoV-2抗体(IgG抗体[イムノクロマト法]:RCNC002, KURABO Industries Lt)を血清学的に評価した横断研究である(性別、10歳ごとの年齢で層別化)。血液検査をされた理由は問わなかったが、SARS-Cov-2感染の過大評価を避けるために、救急部または発熱外来を受診した患者は除外された。
結果:
 1000の血清検体のうち、33検体でIgGが陽性だった(3.3%、95%信頼区間2.3-4.6%)。この数値を神戸市の国勢調査(人口151万8870人)に当てはめると、IgG抗体陽性の人口は5万123人(95%信頼区間3万4934~6万9868人)となる。年齢および性別で調整した陽性有病率は、2.7%(95%信頼区間1.8-3.9%)であり、神戸市人口に換算すると4万999人(95%信頼区間2万7333人~5万9221人)となる。これらの数値は、神戸市におけるPCR陽性確定例の396~858倍の数値である。

さて、まず第一にこの抗体検査、問題になるのは「全市民から無作為に抽出した検体提供者の血清」をサンプルとしていないことが課題になります。

つまり、体調不良、もしくは慢性疾患を持つ患者が通院の際に、血液検査を受けたときの血清をサンプルにしているわけです。

全く健康上問題がない、もしくは自覚のない人たちの血清をサンプルに利用していない時点で、このデータをそのまま全市民に拡大することは、統計上、正確さを欠くわけです。

第二に、このクラボウの抗体検査キット自身の信頼性です。

クラボウのIgG抗体検査キットは中国製です。クラボウの自製ではなく、中国企業の製品の輸入販売です。

この製品は、検査精度95%を自称しています。つまり、100人検査すると、5人には誤診が発生します。

さらに、コロナの抗体についてですが、このキットが「正しく」新型コロナを判別すると証明するためには、「新型コロナ」が発生する前の血清を用いて、このキットが100%、抗体反応が陰性であると証明されなければならないわけです。

コロナウイルスは、従来の風邪の原因ウイルスとして普遍的に存在していましたので、当然、ほとんどすべての日本人には、このコロナの抗体があっても不思議ではないわけです。

それらの検証が日本において、厚生労働省でなされていない事が、問題になります。

以上の点から、神戸での抗体検査には、今のところ学術的な価値はないと断言出来ます。

他の抗体検査

現在話題に上る慶應大学病院の抗体検査、ナビタスクリニックで行った抗体検査についても、全く同様な事が言えます。

ここで出てきた抗体陽性には、科学的な裏付けがなく(厚労省の認可テストをパスしていない)、さらに言うと、病院に来た、または入院している患者や勤務する医療関係者が対象という、疫学的に見て価値のない検体な訳でして、なぜこのデータを全市民に拡大するか、理解が出来ません。

もっと言いますと、現在販売されているコロナ抗体検出キットはべらぼうに高額です。

商魂たくましいのは結構なんですが、国難に際して、国民の不安につけ込んでこういう商売するのは、ちょっとどうなんだろうねと思わざるを得ません。

ある朝、起きたら世界の姿がすっかり変わっていました。 漂流しつつある世界に、何事かをのこしつつ。