見出し画像

ツールとしてのPC #これからの仕事術

式村比呂です。

ちょっと久々になりましたが、noteのお題に #これからの仕事術 と言うのが出てますので、ちょっと触れてみたいと思います。

と言っても私はプランナーやマーケッターではないので、元ICT経営者という立場で今後の仕事術を探りたいと思います。

10年後に振り返ると「元年」と呼ばれる年。

世は令和二年ですが、おそらく10年以上あとに振り返ると、日本における「労働変革」元年と言われるんじゃないかと言うほどの社会的な衝撃が起こりました。

画像1

コロナ禍によって、日本社会は感染防止に「自粛」を選択しました。

移動の自粛、商業の自粛、そして企業活動の自粛。

企業においては在宅勤務、いわゆるテレワークが導入され、四六時中自宅にいる父親や母親や子供たち、という新たな問題を抱えつつも、涙ぐましく、時には微笑ましく企業戦士達は闘ってきました。

そして、意外にもテレワーク化したら仕事の効率性が上がっている、という事実を、ネット世代ではない高齢の経営陣も含め、経営者達も否応なく思い知らされることになりました。

企業にとって、労務管理と事業目標の達成という二つのバランスは重要です。

それだからこそ、出社させオフィスで従業員を管理する、というシステムはこれまで不変のコンセプトでもありました。

定時に出社し、定時では帰らせないという日本型の企業の運営方法がなんとなく醸成されていったわけです。

ところが、3密などと言う自粛方針によって、満員電車の通勤とオフィスでの労働と会議、さらには接待も含めた飲みニケーションまで否定されたわけです。

そこで、直接的な工業生産や宅配業ふくめた流通、社有のビジネス資源を使わねば仕事にならないサービス業と言った例外を除き、これまで本質的にはタブーとされていた「家に仕事を持って帰る」究極であるテレワークがなし崩し的に始まったわけです。

一部のマニアックなビジネスマンを除き、出社せずに仕事を家でこなすテレワークは意外に快適だったことでしょう。

全く経済価値のない「通勤時間」「ビジネススーツ」「化粧」などから解放され、人によっては雑務や飛び込みで発生する雑用などからも自分のリソースを奪われることがなくなるわけです。

ミーティングもZoomやSkypeといったビデオ会議に移行して、不満は残しつつも淡々と人々はコロナ時代の新しい形態に慣れていきました。

また、官公庁を中心に「ハンコ」不要論が高まり、20年以上前からとっくにあった「電子署名」「電子ハンコ」といった技術の導入促進と、それによる決済のスピード化が見直されました。

見直される出社の意義

画像2

こうなってくると問われるのが「出社の意義」です。

世の中には「グループ単位で結集しないと効率が悪い」職業があります。
私にはちょっと思いつきませんが、多分あります。

ですが、実は大抵の仕事というのは、突き詰めれば個人個人の裁量や努力によって積み上げられた生産物を各工程で担当者同士で受け渡されて納品に至るものです。

例えば、広告であれば「プランナー」「マーケッター」「コピーライター」「グラフィックデザイナー」「レイアウト・編集」といった各分野の専門家達が各工程を制作し、それらを仕切る「マネジャー」が決済して営業が顧客の元に提出する。

スタート時の綿密な打ち合わせがとても重要なビジネスですが、ではこれらすべてをオンライン化出来ないか?と言えば、実はすべてオンライン化が可能な時代に入ってきているわけです。

また、会社を支える経理、総務、法務といった職種はどうでしょう?

ざっくばらんに言うと、こうした分野こそ出社の必要性が薄くなるのでは?と言う気がします。

なぜなら、こうした分野はたいがい、企業の中で最も早く電算化された分野だからです。

ムズカシイのはむしろ営業ではないでしょうか?
どのような分野であれ、営業は人間の絆が前提になっているからです。

社外であれ社内であれ、本当に優秀な営業マンこそより多くの人間と接し、時には難攻不落のクライアントを唸らせ、時には社内の反対勢力を説得し、時には夜討ち朝駆けしたり、接待の酒でゲロを吐きながら道化になったりしてるわけです。

この分野に関しては、今後どのように進化していくのか私には想像が及びません。おそらく大部分において、テレワーク化することは厳しいと思います。成功を収めたビジネスパーソンであればあるほど、どんなに素晴らしい企画書や提案書より、それを持ち込んだ営業マンこそを買っているからです。

ただし、営業においては「毎朝出社」という儀式が不要になるんじゃないかという気がします。直行直帰の常態化です。

営業においては朝礼という、ある種の「マインドセットを毎日構築する」儀式は重要です。ここをビデオ通話で出来るか否かというのは、営業マンのモチベーション維持において重要な指針になるのかな?と思います。

若い企業ですと「あいつは時間にだらしないが人の倍以上成果を上げてる」などという伝説の社員みたいな存在が居たりしますが、そうした存在というのは、企業が老成すると共にいつの間にか居なくなったりします。

「休まず遅れず働かず」といった社員達に排除されてしまうわけです。

それがテレワーク化した社会になるとどうでしょう?

営業マンに求められるのは「成果」であり、具体的には数字を上げることのみが重要な評価指針に変わっていくはずです。

画像3

問われるツール

さて、テレワークが常態化すると、まずどのような社会環境の変化が起きるでしょう?

私は、おそらく「スマホからパソコンへの再回帰」が起きるのではないかと思います。

画像4

現在、若年層や青年層を中心に、日本ではパソコン離れが起きているそうです。

様々な調査結果がありますがいずれも調査バイアスがあるため、どの情報を信じるかという問題はあります。LINEなどの調査では学生・生徒の7割近くが日常的にPCに接する機会がない状況、などと言われています。

ところが、大抵の企業においては、就職後にPCによる入力を含めた作業が常在化していると思います。

研究職や事務職は言うに及ばず、営業職でも顧客データの入力や見込み客リストの作成や報告、顧客のニーズ調査と上司への稟議といった作業は、PCで行っているのではないでしょうか?

これらを手書きでやってるとしたら、ファミリー的な企業か手書きであるべきと考える古いタイプの経営者がいるかだと思います。

製造業や集客型のサービス業においては現状、特にPCが必要ない商売も多いでしょうが、いわゆるサラリーマン型の職業においては、たいがいの場面ですでに電子化されてるかと思います。

画像5

そうなると、時代がテレワークに移行した場合、真っ先に問われるのはビジネスツールとしてのパソコンをフル活用出来るスキルがあるか?

という課題でしょう。

学生時代にスマホしか触れてこなかった人と、ワードやエクセルやパワーポイントといったビジネスに必修であるソフトが使える人とで、評価に差は出るのかどうか?

Wi-fiや4Gと言った無線環境ではなく、光通信網に接続したネット環境があるか?

画像処理や動画編集などが必要になったとき、より訴求力のあるPC用ソフトを使いこなせるか

もっと基本に立ち返ると、キーボードで文字入力は出来るか

などと言った「ツール」への習熟度や知識、スキルがものを言ったり、あるいは評価の足を引っ張ったり、という状況が生まれるんじゃないかと思います。

例えば、Zoomなどで会議に参加した場合、スマホの回線が不安定で自分の通話や映像が出席者に対し飛び飛びだったり乱れていたとしたら、極端に言うと、それは回線のせいなのに、その人自身への悪評になったりするものです。

例えば、報告書を書き上げるのにエクセルでグラフ化させてワードに落とし込める人と、ただ文字で書き連ねる人、どちらの報告を重要視してもらえるのか?

それらはその社員が、どの程度ツールを理解し、使えているのかの違いでしかないのに、あたかもその個人個人の実力の差として捉えられていくのではないでしょうか?

画像6

また、PCに慣れておく利点は「情報へのアクセス能力」にも直結します。

検索エンジンなどには、現代においてもまだ、独特の癖があります。

上手な検索ワードを検索する側が想定しない限り、本当に必要な情報までいつまでもたどり着かなかったりします。

また、例えば英語の情報しかない場合、それらを自動翻訳で対照しながら欲しい情報にアクセスしなければならないと言った状況も日常茶飯事です。

別途TOEICなどで英語力を磨いている人なら問題にならないでしょうが、そうでない場合は、こうした作業自体も、ある程度の経験を積み上げないと負担になると思います。

やらねばならない作業のために、その前にPCのツールで四苦八苦しては本末転倒なのです。

まとめ

画像7

今まででしたら、PCが苦手であっても、予算が潤沢にあったら外部のデザイナーに頼んだり、社内でツールを使いこなす同僚に頼んだりしたら、情報のデータ化や図画のビジュアライズがされた資料を作成することが出来ました。

ところが、テレワーク化が進むと、これらは「可能なら」自分でこなせる方がいいよねと言う状況が必ず訪れると思います。

なぜなら、自分の目の前にあるPCというビジネスツールにはそれが可能だからです。

おそらく、現在スマホやタブレットをメインにテレワークをしているビジネス層は、近い将来、PCに回帰せざるを得ないんじゃないかなと思っています。

それは、ここまでで挙げたようにスマホやタブレットでは実現が容易ではない処理や作業や表現が、PCでは20年以上にわたって洗練され、提供されてきたからです。

例えば将来、非常に優れた音声認識と予測AIが誕生し、音声で文字入力が一般的になったら、若干キーボードの優位性は失われるでしょう。

また、無線LAN装置などを導入すれば、通信速度や不安定な回線に悩まされることなくオンライン会議をこなすことも出来るかも知れません。

しかしそれでも、ビジネス面においてPCがより必要とされていくだろう事は想像に難くありません。

例えば、グラフィック面では、スマホやタブレットに比べ大画面のPCは、比較にならない優位性があります。

また、クリティカルな作業になればなるほど、スマホなどに比べ格段にPCの方が安定性が高い

マルチタスクで作業する際にも、PCの方が圧倒的に作業ストレスが低い

オンライン会議においても、マルチ作業で資料を作りながら解説する様なこともPC側が圧倒的に優位です。

こうして考慮していくと、テレワーク時代のビジネスツールは、やはりスマホやタブレットではなく、PCに回帰していくのではないかと思います。

画像8

大きな変革が起きると、価値というものも変化します。

ビジネスマンと会社との関係も、それに合わせ変わっていく可能性もあります。

テレワークというのはただでさえ「勤務態度」が分かりにくくなります。

そうなると経営陣の社員評価は、より以上に「能力主義」「成果主義」に傾いていくでしょう。

出社して定時、しっかり働く様に見えた社員や、夜遅くまで残業をすることが美徳とされた時代は終わり、「数字を上げた」社員がより評価されていく厳しい時代になるかも知れません。

さらに言うとそういう社員が流動化し、労働対価に対する価値観さえ変化していく時代になるかも知れません。

仕事をしてる感を醸し出して実質あまり役に立っていなかった中間管理職などは、窓際に追いやられてしまう危険さえあります。

そういう時代の入り口にあって、頼れるツールとしてPCが再評価される時代が来るんじゃないか?

これがこの稿の結語です。

ある朝、起きたら世界の姿がすっかり変わっていました。 漂流しつつある世界に、何事かをのこしつつ。