もういっそのこと、経済活動再開したら?

新型コロナの話を今日も引き続き。

特派員が見た2カ月 “人が消えた”北京の今(20/04/22)

中国の三里屯。北京の「銀座」や「渋谷」のような町だそうです。

見ての通り、すでに中国では経済活動や個人消費は再開されています。

これだけの映像でまず分かること。それは、生産、流通、消費というサイクルが正常化しているという現実です。

一方、日本。

渋谷のライブカメラでも。

ところで、本日、大阪府知事の吉村氏が、僕のお願いを聞いてくれないパチンコ屋さん、として、以下の6店舗の名前を公表しました。

ちょっとイクスキューズしておきますと。

私はパチンコ店が苦手だし、パチンコファンでもありません。

要するに結局、明日も開店するパチンコ屋さんの宣伝を吉村知事はしたに過ぎず、全く以て逆効果です。

東京都では。

政策アドバイザーとか居ないんですかね?

どうしてパチンコ屋がこれほどの逆風でも営業するのか。

言うまでもありません。

さて本題です。

もういっそのこと、経済活動再開したら?

コロナ禍発生から4ヶ月。

そろそろコロナウイルスの正体がつかめてきました。

つまり。

コロナウイルスは思った以上に感染力が弱い。

コロナウイルスは、思った以上に殺傷性も低い。

この2点。バカを言うなと思われそうですが。もちろん条件付きです。

京都大学のウイルス研究が専門である宮沢孝幸准教授。

私も再三引用させていただいています。

宮沢氏によるコロナ対策はとても単純で明快。そして、これまででもっとも科学的です。

コロナウイルスの入り口である、目、鼻、口を防衛する。

人体にコロナウイルスが付着しただけでは、即ウイルスに感染するわけではありません。

コロナウイルスの受容体を持つ細胞に、ウイルスが1万という規模で侵蝕されない限り、人間の免疫力は、防衛出来る。

その受容体がある細胞は、呼吸器、特に鼻腔内の粘膜や眼球、結膜、咽喉などです。

つまり、人々が正しい知識を共有し、かつ防衛を実践すれば、社会活動を続けても支障はないわけです。

さらに、重症化するのは、抵抗力の低下した老齢者。

そして、抵抗力の低下する基礎疾患を持った人全般になります。

社会活動を再開するなら、こうした「明らかにコロナ感染が致命的なリスクになる」層に属する人々を保護出来るシステムが必要になるわけです。

ちなみに、冒頭の中国の例ですと、現在、各個人のマスク着用などが義務づけられると共に、すべての施設(鉄道・商業施設・住居)への立ち入り時に体温の検温や携帯電話の番号の記載が要求されます。

中国の場合、携帯番号と感染情報が紐付けられているため、これらの情報で感染キャリアかどうかが判別出来るようです。

さて。

日本で活動をどのように再開するか。

簡単に言ってしまうと「人を見たら感染者と思え」という対策を取ることでしょう。

一つの考え方として、PCR検査や抗体検査などを全量・総量的に行って、陰性の人たちを随時開放していく、という手法が考えられます。

他国で行われている所もあるようですが、クリーン証明のようなものを発行する方法です。

ただし、これは科学的に無意味であると判明しています。

社会的には、ある種の「安心感」を得られる効果はあるでしょうが、実情として、「テストで陰性、自覚症状も一切出ないのにコロナウイルスに感染」という実例が数多く発見されています。

そして、なぜそうした人にはコロナウイルスが毒性を発揮しないかと言った科学的知見は、現在の所皆無です。

つまり。

今日本に渦巻く「PCR試験待望論」は、現実としてあまり意味をなしません。

ここをはき違えてはいけないのですが、日本の厚生労働省の失策として「コロナ陽性者・もしくは感染が疑われている人」に対し、発熱(37.5℃)などを以てPCR検査を行う、という施策が間違っているのだし、医療関係者のPCR検査を行わないことが院内感染リスクを増大させています。

それに、「発熱や呼吸困難など」重篤な症状が発生していない感染者を自宅待機などで、バイタルのモニタリングもなしに放置している。

容態の急変によって死者が出る事態になってもなお、厚生労働省は有効な対策が打ち出せないままです。

こうした現状に恐れをなし、人々はPCR検査を熱望するようになりました。

ただし、忘れてはいけないのは、PCR検査というものは、医師が病気を診断するためのツールの一つでしかないと言うことです。

症状から病気を診断する「臨床診断」に対し、医療制度的に病気を認定する「確定診断」と言うものがあり、PCR検査はそのための科学的ツールでしかないと言うことです。

コロナ感染の場合、志村けん・岡江久美子といった、私たちにとって「顔の分かる」タレントさんの症例のように、ついさっきまで意識もはっきりしていた人が、急激に重篤な容態に陥ることが多々あるわけです。

これは、様々な報道によって聞こえてくる「肺炎の重篤化による呼吸困難」の他に、脳機能へのダメージや、腎臓や肝臓といった、人体を維持するのに不可欠な解毒機能を持つ臓器への攻撃が指摘され始めています。

また先日、コロナウイルスが動脈を攻撃していることを示唆する論文も発表されたようです。

つまり、コロナ陽性者へのケアは、常にバイタルサインをモニタリングし、容態急変時には即時の対応が求められる訳です。

PCR検査をしようがしまいが、臨床的にコロナ感染が疑われるなら、こうしたリスクに晒されているという意識変革を、厚労省・保健所・監督者である都道府県知事、そして現場の医師や看護師、隔離施設の職員にまで隅々に行き渡らない限り、こうした不幸はなくならないわけです。

PCR検査から脱線した話を戻します。

日本でどうやって活動を再開していくか。

それは、「もう日本はコロナに汚染されているのだ」ということを前提とした社会システムに移行することです。

あなたも、私も、体のどこかにコロナウイルスが付着している。

お店で買った野菜も、お菓子も、コロナウイルスが付着しているのだと言うことを前提にして食生活を営むことです。

知見として、コロナウイルスは糞便からも検出されることが分かっています。

現在、糞便から検出されるコロナウイルスに感染力が残っているかを示すデータはありません。

しかし、従来の定説ではコロナの消化器官からの感染は懐疑的とされていましたし、胃液で死滅するなどと言った発言をした専門家さえいたわけです。

私たち国民一人一人が、コロナの感染場所である「目・鼻・口」の衛生を心がけ、特に食事を摂る際に、感染源であるコロナウイルスの塊である「飛沫」を防ぐ努力を怠らない。

購入した食品を扱うときは、汚染されているのだという前提の元、調理前に洗浄する、パッケージをアルコール消毒する。別容器に移す。そして、必ず手を洗う。

といった予防を行うことが重要になります。

日本の家庭の風景である「食卓を囲む」という状況は、とても危険です。

一人一人が食べる時間をずらすか、食べる場所を変える。

そうした努力が必要となるでしょう。

また、職場においてですが、これまで同様、マスクをした状態で働く必要は依然として残るでしょう。

施設に入る際に検温をする。手を消毒するといった手間も、これからは増えるでしょう。

ただし、そのような工夫を増やしていけば、社会生活を回復させられない理由はなくなります。

まずは、社会に必要な部門を重点的に回復させる。

さらに、テレワークや時差出勤なども、今後は常識化していくでしょう。

願わくば、企業間の商談まで、可能な限りオンライン化させていって欲しいです。

そして、事態の推移を見ながら、徐々にサービス業を回復させていくべきです。

とても残念ですが、未だ有効な化学的手段によってコロナウイルスへの対抗策は取れないのが実情です。

SARSウイルス感染から10年以上経った今でも、全く有効なワクチンが完成していないことからも推測されるとおり、今回のコロナにも、予防策としてのワクチンが誕生することには期待出来ません。

また、ウイルスそのものの特性として、日本中からコロナウイルスを駆逐することも、期待は出来ません。

インフルエンザのような、季節性の流行ではないからです。

そうであれば、私たちは、もはやコロナと共存するしかない。

そしてその手段は、世界的に見てももっとも日本人が得意である「清潔」を保つ努力こそが重要なわけです。

政府が休業補償をしない以上、民間がどんなに頑張っても、経済活動を停止させて蔓延を防ぐ手段は選べません。

であれば、私たちは、恐れながらも、着実に前に進んでいくしかないのです。

正しい科学知識があれば、コロナ感染は防げます。

ある朝、起きたら世界の姿がすっかり変わっていました。 漂流しつつある世界に、何事かをのこしつつ。