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39歳から独学でウェブ制作をしてきた自分が、どうやって今まで生き延びて来たか

フリーランスのウェブ制作者として7年が経ちました。

なんとなくウェブ制作を生業とするようになりましたが、いろんな過程を経て、なんとか生き延びることができました。

今回はそんな私のウェブ制作者としての経緯を書きます。

ランサーズでひたすら応募する時代

ウェブ制作会社に働いたこともなく、趣味としてホームページを制作する程度だったので、当然仕事はありませんでした。

ウェブ制作会社で働くという選択肢もありましたが、もう39歳だったので、未経験で雇ってくれるとは思えませんでした。なのでウェブ制作会社に応募すらしませんでした。

仮にウェブ制作会社に入ったとしても、自分はやっていけるのだろうか?仕事を教えてくれる人は、一回り以上も年下なんじゃないかと想像しました。ひっとしたら社長よりも年上になるんじゃないかと危惧しました。

そんな環境で自分は頑張れるのかと自問自答すると「無理だな」と即答しました。自分も苦労するし、教える人も苦労するだろうし、経営者も扱いづらいだろうし、そう考えてウェブ制作会社で働くことはしませんでした。

そんな私が仕事を得ようとすれば、ランサーズやクラウドワークスになるかと思います。

ランサーズとクラウドワークスのどちらでも良かったのですが、とりあえずランサーズでひたすら案件に応募しました。

来る日も来る日も応募しましたが、選ばれることはありませんでした。ごくまれに採用されることはありましたが、相場からはありえない低価格でした。まあ、そのころはウェブ制作の相場を把握していませんでしたが・・・

収入はほとんど無く、Amazonの倉庫でアルバイトとして働いていました。
日中はランサーズで案件応募&自己学習をして、夕方から夜にかけてアルバイトをしていました。

在宅ワークでウェブ制作のアルバイトをした時代

ランサーズで受けた仕事の中の1つに、ある会社がありました。

その会社はウェブ制作会社ではありませんが、ウェブ制作をする事業部がありました。そこで、在宅ワークとして働かないかとお誘いを受けて、働くことになりました。

仕事内容はホームページ制作と運用保守です。時給1000円で月50~60時間でした。当時はウェブの仕事にありつけて嬉しかったです。しかし、今振り返ると安く使われたなと思っています。

ウェブ制作事業部とはいっても、実態は主婦2人と自分の計3人でした。全員が在宅のアルバイト契約だったと思います。フルタイムで働いている社員は1人もいませんでした。地方でホームページ制作を請け負っている会社って、こんなものなんだなと悟りました。

当然これだけでは生活できず、Amazonの倉庫でも働いていました。ただ、ランサーズで応募することは少なくなりました。この点では1歩前進したと思います。1年3か月の間、在宅ワークで働きました。

やっとまともなウェブ制作会社から仕事を頂いた時代

新入社員時代の同僚とたまたま会う機会がありましたが、なんとその同僚はウェブ制作会社に転職していました。ありがたいことに、その制作会社を紹介してくれました。

それから、いろいろと仕事を紹介してくれました。一時期はその会社へ出社して仕事することもありました。

ディレクター、デザイナー、コーダーがいる会社で、一緒に働く経験が出来ました。やっと、まともなウェブ制作に携わったという充実感がありました。自分はコーダーですが、数人のコーダーでプロジェクトを進める経験が出来たのは大きかったです。スキルアップになりました。

たまにですが、この頃から自分のホームページ経由で仕事の依頼が来るようになりました。

この時には、Amazonの倉庫のアルバイトは辞めて、ウェブ制作一本で生活できるようになりました。

某企業からコンスタントに仕事を頂いている現在

その後、ある企業から仕事の依頼を受けました。人手が足りないらしく、コンスタントに依頼が来るようになりました。

現在はこの企業の案件が仕事のメインになっています。結構、忙しい日々を送っています。

あと、ウェブ制作者として年月を重ねることで、少しずつクライアントが増えました。そして、少しずつ仕事を依頼してくれるようになりました。

最後に

フリーランスのウェブ制作者として、どうやって生き延びてきたのか書きましたが、重要なことを言い忘れていました。

自分は結婚していて、妻が会社員として働いています。正直、そのおかげだと思います。妻の稼ぎがあったから、生活することができました。

もし独身の一人暮らしだったら・・・
もし妻が働いていなかったら・・・
きっと生き延びていけなかったでしょう。

最後に言いたいことは、妻に感謝です。


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