煙草と詩

詩を書くのは、多分、煙草みたいなことなんだと思う。
ぼくにとって詩は
モヤモヤ素敵な言葉を並べるとか
ボヤボヤ高尚な事を天に唱えているとか
そう言う事にはなってないと思う。
それでもいいのかもしれない
しれないけど。
 
こうして今だって文字を並べて、
改行して
偶にぼぅっと天井見て、
そしたら今度は画面をぼぅっと見て、また
思いついた事を書いていく。
 
これってなんだか煙草みたいだと思った
吸って
一旦煙吐いて
ぼぅっと天井見て、
火のついた煙草の先をぼぅっと見て
そしたらまた煙草を咥え直す。
 
こんなもんなんだって、詩書いてるのなんて。
吸えない煙草の代わりに文字打ってるだけなんだって。
素敵でもなんでもないだろ。
止めれるもんなら止めるべきなのか
実際詩が書けた時の気持ち良さってのは中毒的だ。
 
じゃあ、煙草吸うようになったらどんな詩書くだろうか。
きっと忙しそうな詩を書く。
だって、両手で同時に2本煙草吸ってるようなものだから。
馬鹿みたいだ。
 
いつも書き終わったら、詩の全体をザっと読む。
その時に、改行した文末を結んで線を作るのが好きなんだ。
偶にびっくりするくらい綺麗なカーブができるんだ。
ランダムにゆらゆら揺らめいて、
それを見て1人で気持ち良くなってるんだ。

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