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妙義神社(群馬県富岡市)

 わが家から車で10分ほど。
 前にも立ち寄ったことがあるが、今回はじっくりと歩いてみようと思い立った。

 妙義山の名を負う神社だけあって、急な上り坂を上がった先、標高430m付近に銅葺き、およそ15mほどの高さをもつ鳥居(一の鳥居)が現れる。

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 由緒書きに「日本三奇勝のひとつ、妙義山の主峰白雲山の東山麓にあり、老杉の生い茂る景勝の地を占めている」とあるとおり、鳥居付近から見る町の眺望は素晴らしい。

神社なのに仁王様?

 いざ鳥居をくぐると、境内最初の門というべき総門まで約150mの直線が伸びているが、それが急な石段の坂のため、さっそく息が切れてくる。

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 足もとをみると、階段の石は、いかにも山から切り出してきたとばかりのゴツゴツとした岩肌で、やはり妙義山に産する安山岩が使われているとのこと。

 ようやくたどりついた総門は、なぜだか仁王門になっている。阿像・吽像、すなわち金剛力士といえば仏教の守護神のはず。案の定、このあたりは明治のはじめに廃寺になった石塔寺の旧寺域とのこと。

 そこから一段上がると社務所があり、さらに一段あがって旧御本社である波己曾社へ。

 さらに165段の石垣が続いたさきに本殿があるのだが、なにしろ険しい山の中腹にある神社だけに、移動は水平方向ではなく、ほぼ垂直方向となる。

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高い石垣、急な石段

 本殿までは常に上を向いた状態で歩かなければならないが、ただし、その間の結構(=構造や組み立て。構成。配置)にはため息がでるばかり。高さ10mに及ぼうかという石垣が随所にたち、その間には石垣の数倍にもみえる老杉が、1直線に空を向いている。

 その石垣も、上から眺めれば手すりも柵もなく、目の前は急崖となって落ち込んでいる。安全面に考慮するなどという興ざめな声が出ないことを願うばかり。

 さて息を切らし、足腰を強ばらせて石段を登り切ったところが、下の旧寺域にたいする神域となる。その入り口である随神門をくぐり、鈎の手に折れた参道の先に、またもや旧な石段…。

 しかしこれを上れば本殿と分かるので、あと一踏ん張り。

 唐門をくぐると、そこにはおもに黒と金とで彩られた美しい本殿が…。背景には妙義・白雲山の山頂を望むばかりで、いかにも神々しい佇まいを見せている。

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 本殿欄間には、ほかに緑や白をつかった彫刻が鮮やかなほか、唐門にも雉や鳳凰、麒麟もいて、中でも脇障子に描かれた竹林の七賢人が、枯れた味わいを見せている。

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山岳信仰を思わせるが…

 荒々しい奇岩の山にある、険しい参道の奥に鎮座する本殿…。いかにも山伏たちの修験道場としての側面が醸し出されているが、じつは「中世の状況を示す確かな史料に欠き不明な点が多い」(『竣工記念誌』昭和大修理より)とのこと。

 ご祭神も、日本武尊や豊受大神、菅原道真などとあり、とくにこの地域に限定されたエピソードをもつ神々を祀っている、というわけでもない。

「創建は宣化天皇2年(537年)と伝わる」とのことだが、明治以前の神仏習合時代には「白雲山高顕院石塔寺があった地」とあり、「現在の社殿は、宝暦年間(1751年 - 1764年)の大改修によるもので(中略)、古くは波己曽(はこそ)神社という」との説明もあり、歴史は古いわけではない。

 こうなると、同じ妙義山にあって、おなじく「波胡曽神(はこそかみ)」を祭っていたという「中之嶽神社」との関連が気になってしまう。

 素晴らしい結構、素晴らしい眺望。そして山奥にたたずむ黒い社殿には風格こそ感じるが、いかんせん古色蒼然たる歴史の深さに欠ける神社、といえば言い過ぎか。


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