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噓つきジェンガ

辻村深月「噓つきジェンガ」(文藝春秋、2022年)
読了日:2023年1月17日

 皆さんは詐欺に遭ったことがあるだろうか?

 私はある。

 新卒1年目、12月某日の午後7時。思うように仕事が進まず、すべてを投げ出したい気持ちと戦いながら無意味にPC画面をスクロールしていると、私用のスマホにメッセージが届いた。

「今忙しい?」

 メッセージは、OJTを担当してくれた先輩からだった。私には「今すぐ来てほしい」と言われたら、どんなに忙しかろうが都合が悪かろうがそばに馳せ参じたい、一生頭の上がらない先輩が2人いて、ひとりが修士のときに散々迷惑を掛けた博士課程の先輩で、もうひとりがその、OJTを担当してくれた先輩だ。

 修士1年でインターンをしたときからお世話になっており、就活の相談にも親身に乗ってくれた。OJTを担当してもらえると聞いたときは思わずガッツポーズを決めた。鬼のように仕事ができるのでたくさんフォローをしてもらったし、仕事の教え方も丁寧で、「今年日本で新卒入社した人の中で一番OJTに恵まれた」と私は半ば本気で思っていた。育ってきた境遇も似ていたので、親近感も持っていた。そして、私が詐欺に遭う前月、11月に旦那さんがイギリスに転勤する都合で退職してしまっていた。ここでは仮にYさんとしたい。

 さて、そんなわけで、私はYさんから「今忙しい?」とメッセージが来た瞬間に仕事を放り投げ、返信した。「大丈夫です!」と打つと、すぐに次のようなメッセージが返ってきた。

「近くのコンビニでwebmoneyカードを何枚か買ってきてほしいんだけど、いいかな?」「5万円分の1枚買ってきて欲しい、お金は明日振り込みで大丈夫かな?」「買った後、裏を削ってコードを写メって送ってくれればいいよ」

「今急ぎで必要なの、お願い!」

 “急ぎで”という文字を確認するやいなや、私は会社を飛び出し近くのコンビニへと走った。「いつもと様子が違うな」と感じてはいたが、それだけ緊急の要件なんだろうと思った。もし海外でトラブルに巻き込まれていたらどうしよう、という不安が大きく、それだけに頼ってもらえた使命感のようなものもあったかもしれない。

 送られてきたwebmoneyとかいうカードの写真に見覚えはなかったが、コンビニで探すとたしかに下のほうに陳列されていた。カードを手に取ってレジに並ぶ。そのころには少し冷静になっていて、「詐欺かもしれないな」という疑いがようやく頭をよぎった。念のため先輩に電話を掛けてみると、なにやら雑踏のようなものしか聞こえず、それも途切れ途切れだった。「電波悪いから聞こえないよー」とメッセージが入る。

 もしかしたら本当に緊急事態なのかもしれない、と、ひとまずレジでカードを店員に渡し、「5万円で」と伝えた。やや興奮状態の私を見て不審に思ったのか、「本当に大丈夫ですか?」と店員には訊かれたが、私ははっきりと「大丈夫です」と答えた。

 コンビニを出ると、その場で購入したカードの裏面を削り、番号が見える状態で写真を撮ってLINEで送った。これでひとまずおつかいは果たせたことになる、と一息ついた。それから、念のため詐欺じゃないかどうか調べてみよう、と検索窓に「今大丈夫?」と打ち込むと、サジェストで「今大丈夫? 詐欺」と表示された。まとめ記事を斜め読みしながら、コンビニまでのダッシュであたたまった身体がスーッと冷えていくのを感じた。そうこうしているうちに、再びYさんからメッセージが届いた。

「お疲れ様です。あと1枚か必要なんだけどお願いできるかな?合計10万円です」

 Yさんは「お疲れ様」ではなく「お疲れさま」派であることを私は知っていた。「あと1枚か必要」などという不自然な日本語は使わないことも知っていた。何より、あらかじめ10万円必要なら、短い文章で事情を伝えたうえで最初から2枚買ってきてほしいと、Yさんなら言ってくれるはずだ。このメッセージでようやく、私は詐欺に引っかかったことをほぼ確信した。

 しかしコードは送ってしまっている。ためしにwebmoneyカードのサイトを開き、コードを入力すると、まだ5万円は使われていなかった。5万円は戻らないが、詐欺相手に使われるくらいなら自分で使ってしまおう。そう思って使えるサイトを見ていったがめぼしいサイトはなく、最終的にユニセフに5万円募金した。もし本当にYさんからの連絡だったら、事情を説明して謝ろうと思ったが、このあたりでマニュアルから少し外れ始めたのか、相手の日本語がどんどん不自然になっていった。私は「ごめんなさい。ユニセフに募金しちゃいました」とメッセージを送り、トーク画面を閉じた。


 「ユニセフに5万円募金した女」という新しいステータスを獲得したこの一件で、私は「人間は詐欺に遭っているときには、もっと大切なもののことで頭がいっぱいになっている」という教訓を得た。詐欺でもいい、そんなことよりYさんが本当に困っていて、本当に私を頼ってきているときに何もできないことが一番嫌だ、という思いが私を突き動かした。コンビニのレジで「大丈夫です」と言ったときには、本当に5万円のことなんてどうだってよかった。そうして、ひとまずそれを果たした後にようやく冷静になることができた。

 勉強代は5万円で済んだし、今となっては得難い経験だったと思っている。「自分は騙されやすい」という確信を持つことができたし、おかげで道で募金箱を持つ人を見かけても「5万寄付したしな」といちいち罪悪感を覚えずに済むようになった。

 さて、本当に長々と経験談を書いてきたしまったが、ここからようやく本の感想に入りたい。「噓つきジェンガ」には詐欺をテーマにした中編が三本収録されている。いつの間にか詐欺の片棒を担がされていた大学生、私立中学への裏口入学金を騙し取られた主婦、そして有名人を騙ってサロン代を騙し取っている女性。

 どの中編でも、詐欺に関わっている主人公は「切実」だ。切実だから、必死だから、周りが見えなくなっている。冷静さを失ってしまう。そうやって必死にお金よりも大切なものを守ろうとして、結果的にはお金を騙し取っだり騙し取られたりしてしまう。

 しかし、本を読み進める私たちは彼らほど切実ではないので「なんて愚かな選択をしてしまうんだろう」と感じてしまう。主人公たちのことを、どうしょうもない人間だなぁ、と思ってしまう。でもきっと、「なんでそんなことするんだよ〜」と思うその一方で、「もし自分が同じ立場だったら?」という命題が頭をチラつくはずだ。本当に、同じ道を選ばないでいられるか。本当に、もっと賢く立ち回れるのか。

 自分は彼らとは違う、と思ってしまう人ほど胸がえぐれる構成になっているので、辻村深月だなぁ、と痛感した。主人公たちは詐欺を通して窮地に陥り、それぞれに絶望する。でも、どんなに「終わった」と思っても、それでも人生は続いていく。

 どうしようもない人たちばかりが出てくるのに、読後感が爽やかなのがズルい。私は詐欺に遭った経験から主人公たちにしっかり感情移入してしまい、そしてしっかりと背中を押されてしまった。マズい状況になった時の焦燥感もリアルに味わえるので、詐欺に遭ったことがある人にも、まだ詐欺に遭ったことのない人にもオススメの一冊です。

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